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【尾畑正勝】「ああ、ここで死ぬんかな」

97歳、最年長語り部の見た「原爆の火」

2015年2月25日(水)

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戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。

第15回は、長崎・原爆被爆者で「語り部」の最年長、尾畑正勝さん(97)。満州で金日成を追った日々。復員後、「原爆の火」に包まれた街で見たものとは――。

尾畑正勝(おばた・まさかつ)1917年12月15日、生まれ。97歳。16歳の時、三菱重工業長崎造船所幸町工場に就職。22歳で満州に渡って歩兵部隊に参加。モールス信号を使う通信兵として従事。復員後の1945年8月9日午前11時、復職した幸町工場(爆心地から約1.5km)で被爆。当時27歳。定年後から「語り部」として活動を始める。現在、最高齢の語り部。2014年6月から京都在住。(写真:杉本幸輔、以下同)

 私は大正6年(1917年)12月、長崎市に生まれました。64歳で仕事を辞めてから33年間、原爆の語り部を続け、いつの間にか長崎では、最年長になってしまいました。午前、午後、夜の1日に3回、修学旅行生らの前に立ったことがあります。昨年、長崎を離れて人前で話す機会は減りましたが、この場を借りて、私の戦争体験を聞いていただき、平和について考えていただければ幸いです。

 私は物心ついた時から、一貫して「軍国教育」を受けて参りました。

 小学校5年の時、歴史の授業で「天皇陛下は天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫である」と習いました。天照大神は女神とされています。夫がいたかどうかは分かりません。

 天照大神は神といいますが、天皇が人間ならば天照大神も人間のはずです。しかし戦争中、天皇は「現人神」として崇められておりました。明治以降、日本は日清戦争、日露戦争と列強に次々と勝利し、我が神の国は、戦争をすれば必ず勝つんだと、先生に教えられてきました。

 そして昭和12年(1937年)7月に起きた盧溝橋事件に端を発し、日中戦争が勃発。その後、8年間に渡る長い悲惨な大東亜戦争が始まるのです。

「金日成を追え」

 私は20歳で徴兵検査を受けました。体は小さかったですが甲種(健康と認められ、即戦力として戦地に投入される可能性がある)として認められました。昭和14年(1939年)3月9日、広島に招集されて3日後、中国の大連に向けて出航しました。大連に到着すると今度は列車を乗り継ぎ、目的地の奉天へと向かいます。奉天に到着するとすぐに入隊式がありました。

 私は陸軍独立守備隊に所属する通信兵の任を命ぜられました。奉天に着いて最初の半年間は暗号の解読やモールス通信の訓練ばかりでした。通信兵でしたので、銃器を持って人を撃ったことは一度もありません。

 私の同期は70人~80人程度だったでしょうか。しかし、多くが結核にかかり、最終的には通信兵は私1人だけになってしまいました。私に与えられた指令は、当時、満州で抗日パルチザンを率いた金日成を見つけることでした。しかし、結局は探せなかった。

 昭和16年(1941年)7月、私は一度、奉天を離れ、万里の長城を越えて、北支那の天津へと向かいました。途中、何度か八路軍(中国共産党軍)と交戦し、死傷者を出しましたが私は後方にいて無事でした。11月には奉天の原隊に戻りました。

コメント7件コメント/レビュー

国内に不満分子を抱えている国家は、歴史の今昔、洋の東西を問わず国外に目を向けさせます。そして植民地のような子分の国を持つ宗主国は、いつも子分同士を反目させて統治します。いま中韓の脅威を唱える人たちは、そんな国家に乗せられている人ばかり。これは中国、韓国の国内でも同じこと。そんなただの気分が高まりすぎて収集がつかなくなった結果が戦争で、その戦争の結果で傷つくのは尾畑さんのように普通に暮らしていた人ばかり。気分よくドンパチして勝とうなんて気楽な事言ってると、戦争の背後の安全なトコでほくそ笑んでいる人たちの思う壺です。尾畑さんの、本当に戦争を体験した人たちの言葉を肝に銘じ、戦争を是が非でも避けなければならないのが私達これからの時代に生きる人間の責務だと、本当に信じています。(2015/02/25)

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「【尾畑正勝】「ああ、ここで死ぬんかな」」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

日経おとなのOFF副編集長、浄土宗僧侶

京都市景観市民会議委員(2016年)、佛教文化学会会員。 1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、報知新聞社へ入社。2005年日経BP社に入社。日経ビジネス記者などを歴任。2016年4月より日経おとなのOFF副編集長。浄土宗僧侶の顔も持つ。正覚寺副住職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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国内に不満分子を抱えている国家は、歴史の今昔、洋の東西を問わず国外に目を向けさせます。そして植民地のような子分の国を持つ宗主国は、いつも子分同士を反目させて統治します。いま中韓の脅威を唱える人たちは、そんな国家に乗せられている人ばかり。これは中国、韓国の国内でも同じこと。そんなただの気分が高まりすぎて収集がつかなくなった結果が戦争で、その戦争の結果で傷つくのは尾畑さんのように普通に暮らしていた人ばかり。気分よくドンパチして勝とうなんて気楽な事言ってると、戦争の背後の安全なトコでほくそ笑んでいる人たちの思う壺です。尾畑さんの、本当に戦争を体験した人たちの言葉を肝に銘じ、戦争を是が非でも避けなければならないのが私達これからの時代に生きる人間の責務だと、本当に信じています。(2015/02/25)

テロリズムではなく尾畑さんの色紙の言葉が世界中に拡散していったらよいのに。言葉のすべてが重く心に浸みます。(2015/02/25)

私の母も長崎で被爆しています。尾畑さんと同じく、自宅が爆心地から見て山かげにあったため、命は助かったそうです。が、それ以上の被爆体験を聞いたことがありません。高校生のとき、ABCCが二世検診をしているから受けてこい、と言われたときに、そのような話を聞いただけです。被爆者(に限らず戦争を経験された方)が体験を語ることはつらいことだと思いますし、多くの方は母のように語ることができないのだと思います。しかし、語り継ぐことは大事なことだと感じます。ぜひ、頑張って頂きたいです。(2015/02/25)

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三品 和広 神戸大学教授