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【八城政基】「高度成長は日本の教育のおかげ、ではない」

外資を渡り歩いた“プロ経営者”のリーダー論

2015年3月20日(金)

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戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画(毎週水・金曜日掲載)です。

第21回は、エッソ石油社長や米シティバンク在日代表、新生銀行社長・会長を歴任した八城政基氏。外資トップを渡り歩いたプロ経営者が、自らの人生を振り返りながら、日本の未来に必要なリーダー育成のあるべき姿を語ります。

米国が育てたプロ経営者
八城政基(やしろ・まさもと) 東京大学大学院卒業後に米スタンダード・バキューム・オイル日本支社(後にエッソ石油)入社。45歳で社長、60歳で定年。米シティバンク在日代表を経て新生銀行(旧・日本長期信用銀行)の社長、会長。2010年に退任。「行不由径」(こうふゆけい)の意味は、「小道の近道をせず回り道でも大道を歩め」。写真は2014年3月に他界した妻が愛した庭で。1929年2月生まれ。(写真:的野弘路、以下同)

 終戦の時は、都立一中の中学3年生だったね、きっと。東京にある親戚のうちで玉音放送をラジオで聞いたわけです。あんまりよく聞こえなかったけど、戦争が終わったということだけは分かったね。

 終戦の時に何を思ったかというと、1944年に亡くなった父に続き、終戦直後の8月19日に母も亡くして、もう働かなくちゃダメだと思いました。母は体が弱く病気がちで、7月の終わりに故郷の京都の親戚のうちに戻っていたんです。でも8月9日に僕だけ東京に帰ってきてしまっていたわけ。そんなに急に亡くなるとは思わなかったんだけど、終戦直後に亡くなってしまった。

 兄はいたんだけれども、親が残してくれたものというのは、そんなにたくさんあるわけでもないし、貯金もしばらく凍結されていました。だから、普通の生活はできないわけですよ。もう学校へ行くのはやめて、働くしかないと思った。

 そうしたら、先生も含めていろいろな人が、「学校だけはちゃんと卒業しろ」と言ってくれて。そんな状態だったから、その日その日を生きていくのが大変だったという記憶しかありません。

敗戦ですっかり冷めちゃった

 ただ、やっぱり思い返してみると、それまでは神国日本だったのに、ある日突然負けてしまって、食べることで精一杯の状況になって、闇市にもしょっちゅう行って。だから、それ以降、どんなことが起きても平気になってしまったわけね。いつの間にか。

 そうなった人間は強いですよ。人に頼らず、自立して、自分で生きていかなきゃならないから。その後の人生、もう何が起きても、「まあ、そういうこともあるか」というぐらいにしか感じなくなってしまった。

 どんなことにも、あんまり激しく反応しないんだわ。がっかりもしないし。もう冷めちゃったね、すっかり。

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「【八城政基】「高度成長は日本の教育のおかげ、ではない」」の著者

大竹 剛

大竹 剛(おおたけ・つよし)

日経ビジネス記者

2008年9月から2014年3月までロンドン支局特派員。2014年4月から東京に戻り、流通・サービス業を中心に取材中

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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