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会社と家庭、どちらが「自由」ですか?

  • 小橋 昭彦

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2006年6月27日(火)

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 前回のコラムで、サッカー日本代表に対する監督の方針を対照して「規律」と「自発性」という言葉を持ち出しました。

 この2つの概念のバランスは、現代の日本において様々なところで顔を出しています。新しいところでは、証券市場における規律と挑戦のバランスが注目されていますし、教育分野では、これまで子どもの自主性を重視してきたところに、公共の精神の重要性が言われるようになってきている。もう少し一般化して考えるなら、ある個人にとっての「自由」をどこまで認めるかという問題と言っていいかと思います。

 ところがこの「自由」というのは、分かるようで分からない概念です。ぼくたちの社会では「自由」であることがとても重視されています(米国の例を持ち出すまでもないでしょう)。一方で、犯罪や売春に対して個人の「自由」を持ち出されると、そうではないと戸惑う。絶対的な価値観のようでいて、制限のある価値観であるべきとも思う。それが「自由」のとらえどころのなさです。

家庭の方が「不自由」だった

 今、会社のような公的な場にいる時と、家庭などのプライベートな場にいる時とでは、どちらがより「自由」を感じるかと問われると、どうでしょうか。多くの方が、私的な場にいる時、と答えられるのではないかと思います。

 ギリシアのポリスにおける公的領域・私的領域について検討したハンナ・アレントは、次のような興味深い指摘をしています(ハンナ・アレント『人間の条件』1994年、筑摩書房) 。

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