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“真実の心象風景”を求めた
戦後日本画壇のリーダー「山本丘人展」

  • 杉江 隆

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2006年11月2日(木)

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 11月26日(日)までの会期で神奈川県・平塚市美術館において、開館15周年記念「山本丘人展」が開催されています。

 この美術館がある平塚市を含む“湘南”地区は、温暖な気候とリゾート感溢れる土地柄も幸いして、明治時代から幾多の芸術家が居を構え、旺盛な芸術運動を展開してきた拠点です。同館のウェブサイトによると、日本の近代美術や文学に大きな影響を与えた雑誌「白樺」は鎌倉。また油彩画の新しいスタイルを追求した岸田劉生の草土社は鵠沼。いずれも湘南を舞台にその活動が展開されてきました。

 平塚市美術館はその設立に当たり、メインテーマを「湘南の美術・光」と定め、これに沿って湘南ゆかりの作家の作品を中心とした収集を継続。現在、これらの作品は約9000点を数え、全体として優れたコレクションを形成しています。

日本画再興にその半生を捧げた画壇のニューリーダー・丘人

 山本丘人(やまもと・きゅうじん)は1900年東京・下谷に生まれ、東京美術学校に入学、新興大和絵を標榜する松岡映丘に師事しました。松岡の主宰する映丘画塾は、戦後日本画壇の中核を成す丘人をはじめ、杉山寧や高山辰雄らの俊英を輩出しています。

 戦後間もない1948年、敗戦のショックが引き金となり“日本的な文化”を否定する動きの中でわき起こった日本画滅亡論。この逆風の中で、丘人は上村松篁、福田豊四郎らと「世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」をスローガンに「創造美術」(現・創画会)を結成しました。

 その後丘人は、新しい日本画を求める革新派のリーダーとして活躍。雄大な山河や海を強靭なタッチと力強い線で描き、1960年、大磯転居後は「真実の心象風景」を求め、優美で詩情豊かな作風へと移行していきました。



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『入る日(異郷落日)』 1963年、山種美術館蔵

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