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特集・自分を生きた女たち~林芙美子(1)

失恋、貧乏、ひとり旅、「ボロカス女」の人生の乗り切り方

  • 松島 駿二郎

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2006年12月15日(金)

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大正13年(1924年)ころの林芙美子。上京し職を転々としていた(写真提供/新宿歴史博物館)

 憧れの東京に出てきたものの、彼氏には振られ、仕事もうまくいかない。ああ、何もかも忘れて知らないところへ旅に出たい――。こんな思いで都会の空を見上げているあなた。ため息をつく前に林芙美子を知ってほしい。

 どん底の生活で男に捨てられ泣いた後は、1人で汽車に乗り、何とかなるさと言える強さを持っていた女性。自らをボロカス女と呼び、『放浪記』に行き場のない思いをぶつけた。何もかもうまくいかなくても、ふて腐れることなくたくましく生きた芙美子。仕事や恋愛で落ち込んだら、芙美子がきっと大きなパワーをくれるはずだ。


林芙美子(はやし・ふみこ)
1903-1951(明治36-昭和26)
作家。福岡県門司市で、父宮田麻太郎・母林キクの間に生まれる。1922年尾道高等女学校を卒業後、恋人であった岡野軍一を追って上京。しかし婚約は解消される。銭湯の番台、セルロイド工場、事務員、女給など職を転々としながら詩を書き始める。俳優や詩人との恋や同棲を経て、1926(大正15)年、画家・手塚緑敏と結婚。1928(昭和3)年、『女人芸術』に「秋が来たんだ―放浪記ー」の連載を開始。この連載をもとに改造社から1930(昭和5)年『放浪記』を出版、ベストセラーになる。女流作家として第一線で活躍を続ける中、47歳で急逝した。作品はほかに「晩菊」「めし」「浮雲」など。森光子が主演する舞台「放浪記」は、1961年の初演以来現在もヒットを続けている。

 「私は宿命的に放浪者である
  私は古里を持たない
  私は雑種でチヤボである」

 若い娘が貧窮のなかで、世間を放浪する。お嬢様などとは一度も呼ばれたことがない。父は太物(木綿や麻の反物売り、絹の場合は呉服となる)の行商人。母は鹿児島出身だが、よそ者と結婚したので故郷を追われる。

 明治時代、田舎はどこでもこんな具合だったのだろう。芙美子が生まれたのは、たまたま2人が行商で行き着いた下関だった。明治36年(1903年)生まれ。本名フミコ。

 有名な『放浪記』の冒頭の「私は宿命的に放浪者である」という一文の前に、実は芙美子が小学校の時に唱ったという、センチメンタルな詩歌が添えられている。

「更けゆく秋の夜 旅の空の
 侘しき思ひに 一人なやむ
 恋ひしや古里 なつかし父母」

 林芙美子は、父母の生活のままに、各地の木賃宿から木賃宿へと、流浪しながら育っていった。古里など子どもの記憶には刻まれなかったはずだ。それでも古里への憧憬が彼女の心の奥底で、くすぶっていたことを示す小学唱歌の引用だ。

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