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自分を生きた女たち~林芙美子(3)「家庭生活」

放浪の末手にした「家庭」という幸せ

  • 松島 駿二郎

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2007年1月12日(金)

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昭和9(1934)年、下落合で夫・緑敏と並ぶ芙美子(写真提供/新宿歴史博物館)

 芙美子はいくつかの男遍歴(というほどのものじゃない。普通の若い女性並みの)を経て、手塚緑敏という男に抱きとめられた。放浪生活を送っていた芙美子の疾走を止めた男として、この緑敏は記憶されるべきだろう。

 緑敏は若い画学生だった。画家としては成功しなかったが、芙美子の夫としては大成功をおさめた。芙美子のことを「先生、先生」と呼び、いつでも移り気な芙美子の、秘書役までやったという。

 岩波文庫から『林芙美子随筆集』という本が出ている。
 この文庫本の表紙にある写真を見て、思わずのけぞった。なんと芙美子が割烹着を着て、お勝手で野菜を刻んでいる様子なのだ。なんだ、これは! そして、芙美子を受け止め、家庭人に変貌させた緑敏の包容力の大きさに感じ入った。

 緑敏と芙美子の間には子供ができなかった。40歳になったとき、2人は相談して、生後間もない男の子を養子に迎えた。泰(たい)と名付けて溺愛した。小学校は学習院初等科に通わせるというほど。芙美子の埋火、母性が燃え上がったのだ。泰は芙美子の死から、わずか9年後に不慮の事故で亡くなった。

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台所に立つ芙美子(写真提供/新宿歴史博物館)

 泰を挟んで芙美子と緑敏は家庭生活を始めた。執筆の時間を割いてまで台所に立ち、包丁で野菜を刻んだ。放浪時代の野性味はどこかに消し飛んでしまった。そして下落合に豪華な邸宅を建てた。

 今この邸宅は、東京・新宿に林芙美子記念館として残っている。サクラ、ブナ、ケヤキ、太い孟宗竹などの深い緑が、新宿に近い下落合の都会の喧噪を遮っている。立派な和風の家で、芙美子は建設にひとかたならぬ熱意を持ったという。

 デザインに当たったのは山口文象という前衛建築家だった。彼はドイツのバウハウスに学び、ドイツでも一時的に隆盛した、建築モダンデザインの粋を芙美子邸に注ぎ込んだ。

 芙美子自身も積極的に建築や内装に取り組み、気品に満ちた格子窓、障子などが出来上がった。建築後半世紀は経っているが、少しも古びた感がないのは、さすが、一流のデザインだったからだろう。

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