2007年パリ・ダカールラリーにプライベート参戦、5年ぶりの完走を果たしたラリードライバー、篠塚建次郎氏。三菱自動車のパジェロブームを作り、SUVブームの火付け役になった彼だが、実は当時の活躍は、三菱自動車の「サラリーマン」としてのものだったのだ。(聞き手=日経ビジネスオンライン編集部 山中 浩之)
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―― 私(聞き手)もそうなんですが、このサイトを読んでいただいている読者の方の中心年齢は、パジェロのまさに黄金期に、大学生・社会人デビューした世代なんですよ。
1987年にパリ・ダカールラリーで3位入賞した、その頃からですね。
―― あれで世の中に、パジェロというゴツいクルマが知られて、そして東京の街中を走り始めた。
そうでしたね。それまではアウトドア専用だったのが、街に走り出しました。最初、ショートボディーが結構売れましたっけ。
―― 「パジェロってなんだかすごい車なんだな」って、その時思いましたが、当時、そのドライバーである篠塚建次郎が、我々と同じ会社員、三菱自動車の社員なんだよということは、正直、この本を読むまで気がつかずにいました。当時、おいくつだったんですか。
38歳ですね。
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―― 今の中堅サラリーマンの年代で、パリ・ダカで日本人初の表彰台。で、その後パリ・ダカで優勝もされているという。
優勝したのは48歳の時です。
―― 普通の会社だったら課長さん、部長さんの歳ですね。うちの部長とか、編集長が世界的なラリーに出て、勝っちゃったと。すごい話だな(笑)。しかし、これだけの実績を残すなら、会社員から足を洗ってプロドライバーになろう、と、普通思いますよね。
ええ。ぼくは、別にサラリーマンになろうと望んだわけではないんですよ。正直に言えば、やむなくサラリーマンをやっていた。というのは、まずラリードライバーなんて、職業としては僕がラリーを始めた頃は存在しなかったんですよ、もう40年近く前ですからね。
サーキットを走る方のドライバーはまあまあ、いたことはいたんですよ。だけどやっぱりラリーの方はマイナーな競技だったのでね。大学生の時から三菱のクルマで走るようになって、「卒業したら三菱に入るんだ」と、三菱も僕もそう思っていたんですよ。プロのドライバーになりたかったんですね。やっぱりお金、いっぱいくれそうだし(笑)。ラリーだけやっていれば出勤しなくてもいいし、何かいいことずくめじゃないですか。
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ところがラリーをやっている先輩が、「いやいや、それは違うぞ」って(笑)。もちろん速くないとだめだし、遅かったらすぐにクビになっちゃうでしょう。そして、ラリーは宣伝活動としてやっているから、広告予算がうまく取れなければすぐやめるかもしれない。もちろん怪我をすればクビだし、給料も思っているほどは貰えない。
というのは、プロフェッショナルドライバーという存在がなかったから、給与を幾らにすればいいのかというのは会社も分からないんですね。それで何を基準にするかというと、普通の社員の給料をベースにするわけでしょう。普通の社員とあんまり変わらないということになっちゃうわけです。
―― なるほど。えらくリスキーな割に恵まれない。
そう言われてみると迷いますよね。そこへ「サラリーマンになってもラリーはやらせてくれる」という話がありまして。もし途中で、やっぱりサラリーマンが嫌だということになったらサラリーマンからドライバーになればいい。逆はできない。だから取りあえずサラリーマンになっておいた方がいいんじゃないの、とある人から言われたんですよ。
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それもそうかな、ラリーができればいいや、という感じで、普通に入社試験を受けて三菱自動車に入ったんです。そこから二足のわらじがスタートしたんだけど。それで、53歳までずっと三菱で二足のわらじを履いていたんですよ。
―― 三菱のクルマを売りつつ、ラリードライバーとしても活躍された。社内の評判はいかがでした?
会社の中では、そりゃ、ラリードライバーなんてものに市民権はなかったですよ。
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