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真面目な社員だったから、好きなことがやれた
~ラリーバカ一代、篠塚建次郎に聞く(後編)

  • 山中 浩之

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2007年1月29日(月)

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前編から読む)

 三菱自動車の「サラリーマン」だったから、ラリーに勝てたし、パジェロを育てることもできたと語る篠塚氏。だが、三菱自がラリーから撤退した期間は、文字通りのサラリーマンとして過ごしていた。雌伏を支え、再起につなげてくれたのは「サラリーマンとしての、真面目な仕事ぶり」だったという。(聞き手=日経ビジネスオンライン編集部 山中 浩之)


『ラリーバカ一代』(篠塚建次郎著、日経BP社、税抜き1200円)
ラリーバカ一代』(篠塚建次郎著、日経BP社、税抜き1200円)

―― 1987年のパリ・ダカール・ラリー3位入賞で一気に有名になった「三菱自動車の社員」ドライバー、篠塚さんですが、一方では雌伏の時期といいますか、ハンドルを握れない時期が、8年間もあった。

 1977年から1985年までは、まったくラリーに出られなかったんですね。排ガス規制で「クリーンなエンジンを造らないと、もう車を売ってはいけませんよ」ということだったので、自動車メーカーにとっても大変なことでね。お金も人も全部その開発に回って、モータースポーツから手を引いちゃったんです。三菱も国内、海外ともラリーをやめちゃった。そういう意味では社員だったからよかったんだね(笑)。

―― プロのラリードライバーだったらメシの食い上げ、職があってよかったな、と。でも「ラリーがやれないのでは、俺の人生は」みたいな感じはありませんでしたか。

 う~ん、(ラリー再開まで)8年間待たされるって最初は思っていなかったからね(笑)。たぶん2~3年くらいだろう。しょうがないと。来年はやるかな、やるかなと思って、結局、8年たっちゃったわけです。

ラリー以外は真面目なサラリーマンとして働いた

ラリー以外は真面目なサラリーマンとして働いた

―― その間に外国人ドライバーを使って、三菱はラリーを再開しているんですよね。

 ええ、僕に声が掛からなかったんです。パジェロは1983年から出るようになったんですけど、その前にランサーターボでWRCに出始めた。それも声が掛からなかった。たぶん「篠塚も社員として普通に働いているから、もういいんじゃないか」ぐらいに思っていたのかもしれない(笑)。

―― ご自身ではアピールされなかったんですか。開始したなら僕も行かしてくださいよとか。

 まあ、ちょこちょこは言っていましたけども、あんまりぶんむくれて言ったりはしなかったですね。

―― そこをちょっと突っ込みたいんですけれど、たぶん自分も含めてサラリーマンって、「自分のやりたいことって、会社ではなかなかできないよね」と思い込んでいると思うんです。実際は意外と、篠塚さんは非常にピーキーな例だと思うんですけれど、やろうと思えばやれたりもする。もしくはおっしゃったみたいに、会社の力を使うことで個人ではできないことができたりすると。

 そういう意味では、やっぱり自分の好きなこと、それから自分の才能を生かせることね。何が才能なのかというのを、まず見つけないといけないですね。

 ぼくの場合は大学時代にラリーに出合ったんだけど、やっぱりお金がものすごく掛かるものなので、やりたい、やりたいと思ったって、そうなかなかできないわけですよ。そういう意味では会社に所属して、会社のお金をふんだんに使って、自分のやりたいことをやってきたって自分で思っているんですね。

復帰後の1991年、WRCアイボリーコーストラリーで初優勝

復帰後の1991年、WRCアイボリーコーストラリーで初優勝

 だから、そういう意味ではすごく幸せで、今、サラリーマンとしては一番いいかもしれない。もちろん年間、何億もたぶん使ったでしょう。だけど、その100倍は返していると、自分では思っているんですよ(笑)。いい方に回転したということですね。お金も使ったけども、返すのもうんと返したなということでね。やっぱり1人でやると、そんなに大きなお金を動かすということはできないと思うので。

 会社の力を使うというのは、僕はいいと思うし、サラリーマンというのはそれができれば一番いいんじゃないでしょうかね。ただ、自分の得意なこと、何を置いても頑張れることが何なのか分かっている人が、何人いるかというと、ぼくはあんまりいないだろうなと思うんです。10人いて1人いるかいないかぐらいの割じゃないかなと思われるんですけどね。だからそういう意味では、本当にラッキーだったのかもしれないですね。

―― それだけラッキーだとおっしゃる篠塚さんにしてからが、8年間ラリーができず、でも諦めずにずっと三菱にいらっしゃったからこそ、パジェロと巡り合って、より話が面白くなるじゃないですか。その期間はどうして耐えられたんでしょうね。

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