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自分を生きた女たち~与謝野晶子(1)

11人もの子育てと、夫への激しい嫉妬の中で詠んだ熱い思い

  • 松島 駿二郎

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2007年2月9日(金)

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akiko11
写真提供/文化学院

 略奪婚の末に11人もの子供を育て、夫の奔放な恋愛に苦しみ、1000枚もの原稿を火事で失ってもめげない――。そんな膨大なエネルギーを持った女性が与謝野晶子という人である。晶子の名は明治の詩歌に革新をもたらした歌人として揺ぎ無いものがあるが、彼女はひっそりと机の前に座って歌を詠んでいただけではなかった。

 子育てにまつわる膨大な家事、苦しい家計のやりくり。普通ならそれだけで押しつぶされてしまうところなのに、晶子は優れた詩歌で若い青年歌人らをとりこにし、筋の通った評論で偏狭な男どもを論破。さすがに過労で倒れたこともあったが、晶子が弱音を吐くことは一度もなかった。現代でも色あせない晶子の魅力は、夫を死ぬまで愛し続け、正しいと信じた道に凛として突き進んだ彼女の強さによるものだろう。


与謝野晶子(よさの・あきこ)
1878-1942(明治11-昭和17)
大阪府堺市生まれ。生家は菓子商。22歳で短歌が「明星」に載り、与謝野鉄幹と出会う。1901(明治34)年、歌集『みだれ髪』出版。翌年、鉄幹と結婚。24歳・長男光(上田敏命名)、26歳・次男秀(薄田泣菫命名)、29歳・双子の女子、八峰、七瀬(森鴎外命名)、31歳・三男麟、32歳・三女佐保子、33歳・四女宇智子、35歳・四男アウギュスト、37歳・五女エレンヌ、38歳・五男健、41歳・六女藤子と、24歳から41歳の17年間で12人の子供を産む(六男寸は夭折)。子育ての合間に多くの優れた歌集を編み、創作が思うようにいかない失意の夫鉄幹をパリに遊学させる。1921(大正10)年、夫とともに文化学院設立に尽力。以降、夫とともに日本全国を吟行を重ねる。62歳で脳溢血で半身不随になり、翌年、狭心症と尿毒症を併発し永眠。夫の眠る多摩墓地に埋葬された。

鉄幹と略奪婚。閨房を詠んだ『みだれ髪』

 与謝野晶子は1878年(明治11)に生まれた。生家は大阪の堺にある『駿河屋』という老舗の和菓子屋。裕福な家庭だった。実家は教育に熱心で、晶子は漢学塾に通い、琴や三味線などの稽古にも励んだ。旧姓は鳳(おおとり)、戸籍名は「志よう」。この「しよう」という読みをそのままに、「晶」の字をあてた。

 晶子の才覚が発現したのは堺女学校時代。古典を猛然と読み始めた。『源氏物語』を数度読んだという。現代詩でいえば、島崎藤村、正岡子規などに学ぶことが多かった。正岡子規の俳句に衝撃を受け、短詩型こそ我が進む道、と和歌を始めた。そして和歌の雑誌、新聞などに投稿も始めた。ここまではお嬢さん芸的な、関西地方の一文学少女だった。
 そのうち、関西だけではなく、東京の文芸の動きが活発になる。与謝野寛という男が創刊した『明星』という詩歌の専門雑誌が気になってきた。

 短歌革新を唱える与謝野寛が『明星』の宣伝のため関西にやってくる、というので晶子は友人と語らって会いに行った。このときに寛に会ったのは、関西在住の女流歌人山川登美子、増田雅子だった。ちょっとした、運命的な出会いだった。

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牛島 信 弁護士