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【第1回】社内いじめにあった若き時代

マーラー交響曲全集収録で成功を勝ち取る

  • 諸石 幸生

バックナンバー

2007年4月5日(木)

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演奏の質を可能な限り追い求めて記録する。そうしてできたクラシックCDは演奏家とプロデューサーの共同による芸術作品だ。音楽プロデューサー、川口義晴さんはどんな仕事をしてきたのか……。


―― 膨大な数のアルバムを制作されてきましたが、まず手始めに代表作と言いますと?

音楽プロデューサーの川口義晴さん

音楽プロデューサーの川口義晴さん (写真:清水 健)

川口: うーん、そういう質問が一番困っちゃうのよね。つまりそれは周りの人が決めてくれればいいって感じで、僕自身は考えたこともないんです。でもまあ一般的に言えば、インバル指揮によるマーラー交響曲全集でしょうかね。確かにあれは大きな仕事でした。あの仕事をすることで僕自身のものの考え方も変わってきたし、マーラーとそれこそとことんつき合って学んだものも大きかったですからね。

 でも例えば、鮫島有美子の「日本のうた」が代表作ですかと言われれば、僕は何も手なんか抜いていませんが、代表作とは少し違うなあという感じはあります。もちろん彼女のCDはクラシックを制作するのとは全く違った特別な勉強をして作ってきましたし、コマーシャルな仕事だからといって卑下する気など全然ありませんが、マーラー交響曲全集の場合は姿勢というのか、覚悟が明らかに違っていましたからね。

―― 聴き手として面白いのは、マーラー全集のようにシリアスなものをやってきた川口さんが「日本のうた」も作ってきた。この幅広さがいいなと思いますけどね。

 あ、そうですか。僕の友だちなんかね、マーラーのことは話題にするけれど鮫島のことなんか誰一人話題にしませんでしたからね。実はあの中でも実験的なことをいくつも試みているのですが……。

―― でも大変なセールスを記録したわけですし、鮫島さんはNHKの紅白歌合戦にも出ましたね。

 ええ、出ています。でもあのシリーズは、僕にとってはすでに完結した仕事という意識がありますね。やりたいことはやってしまったし、今は関心もほとんどない。その点、マーラーは違います。ある意味、自分の中でいまだに完結していない。そんな意味すら残しています。つまり、それはCDを作ることとは別次元の問題として引きずっているということです。

―― 1973年から98年までの日本コロムビア時代に結局何点ぐらい制作されたんでしょう?

 それも数えたことないですね。

―― 年間10枚は作っていましたね。

 10枚は軽いですよ。まあ15枚というところでしょう。それ以上は物理的に無理ですね。ですからトータルすると400~500枚くらいになるかもしれません。でもその中には自分で何の興味もなく作ってきたのもあります。

演奏に自由がなかった旧東欧の演奏家

―― それは演奏家に対してですか? 会社からあてがわれたという意味で?

 そうです。会社の方針で決まっていたものですね。1970年代半ばぐらいまでは不思議な時代で、チェコとか東ドイツとかの旧東欧側の音楽家を好きな高名な音楽評論家がいらして、リリースするたびに絶賛していました。コロムビアはチェコ国営のスプラフォンと契約があり、スメタナ四重奏団、バイオリニストのヨゼフ・スーク、指揮者のスウィトナーといった演奏家たちとの関係がありました。ところが僕はそういった演奏家には全く興味がなかった。

―― でもスークなどずいぶん録音されましたよね。

 いや、ずいぶんというほどじゃないです。いずれにしてもそれは自分の意思ではなかった。スメタナ四重奏団とは友達にもなりましたが、彼らの演奏が面白いと思ったことはなかった。でもリリースすればすぐに1万枚ぐらい売れるんです。それがトラウマになって僕は今でも弦楽四重奏曲が好きになれないくらいです(笑)。

 ま、弁解すれば僕自身が現場をやっていたわけじゃない。コロムビアがお金を出して制作しているから社の人間として向こうのディレクターと一緒に録音したというのが実際ですけどね。エドワード・ヘルツォークというディレクターがいて、人間的に素晴らしい人で、それはとてもいい時間を過ごせたと思いますが、録音の最中は最悪でした。ものすごく時間をかけるし、僕はチェコ語も分からないから何のためにそうするのかも分からない。出来上がってくる音楽も僕は好きになれなかった。

―― それは音質的なことも含めて?

 そう、感性が全く違うって感じです。なんていうのかな、僕にとってはクラシックがああいう形になるのは退屈なことなんです。刺激してくれないしね。お陰でベートーヴェンの弦楽四重奏曲はずいぶん勉強しましたけどね。

―― 何が合わなかったんでしょう。

 彼らの演奏が自由じゃないっていうことを本能的に感じたからだと思います。形はきちっと作るんだけれども、それ以上のものは何もない。僕が最初に行った東欧はチェコで、70年代の初め頃かな、もう死ぬ思いでしたね。

―― それでは自分らしい仕事ができるようになったのは、いつ頃から?

 篠崎史子との「ハープの個展」が1973年、マリア・ジョアオ・ピリスとのモーツァルトのピアノ・ソナタ全集が1974年、それから湯浅譲二の「作品集成」の5枚組などがあり、最初からやりたいことはやっていましたけどね。でもそれはもう大変ですよ、会社の中では「こんな売れないものを作ってどうするんだ」って。篠崎さんのジャケット(下写真)のデザインを杉浦康平さんにお願いしたんですけど、これがものすごく凝ったデザインで、費用も相当かかった。ついにはジャケットにつける帯の予算がなくなってしまって、帯なしのレコードを出した。社内でまたいじめられる、本当に苦労しましたよ。

篠崎史子「ハープの個展」のレコードジャケット(左が表、右が裏)

篠崎史子「ハープの個展」のレコードジャケット(左が表、右が裏)


―― 現代音楽は売れないという噂がありますが。

 いやあ、見事に売れません。今でもそうじゃないですか。今、武満徹のアルバムを作ればそれなりに反響はあるだろうけれども、「ハープの個展」では武満さんの作品も1曲「スタンザII」が入っていましたが、たぶん300枚くらいしか売れなかったと思いますね。でも、そのアルバムも、僕は手元に置く習慣がないから、「ハープの個展」もどこへ行ってしまったのか、一枚も持ってないですね。

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牛島 信 弁護士