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第2回 北斎が司馬江漢から学んだもの

それは大自然と対峙して働く人間の姿だった

  • 内田 千鶴子

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2007年4月26日(木)

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 日本で初めて銅版画による風景画を描き、西洋画法と油彩に積極的に取り組んだ司馬江漢は、寛政後期(1790年代後半)、再び日本の伝統的な墨や絵の具を用いて、次々と富士図を描き、全国各地の神社仏閣に奉納していった。これは自己宣伝というより、洋風画を宣伝する目的であったようだ。

 大額として、1796(寛政8年)に江戸芝愛宕神社に「相州鎌倉七里浜図」、芸州宮島厳島神社に「上総木更津浦之図」などを数多く奉納している。そのほかに小額が諸国に点在していて、ほとんどが風景を描いたものである。江漢は鎌倉の七里が浜から見た富士図を数多く描いているのは、そこから見た富士をことのほか気に入っていたからであろう。

 「相州鎌倉七里浜図」(神戸市立博物館)は視点を思い切って低く取っているから、広々とした空に白い雲がゆったりと浮かび、画面中央に凛然(りんぜん)とした富士の姿が描かれている。右前景の砂浜に、魚を入れた手桶を手にする漁夫夫婦と、寄せては返す大波、小波とがよく溶け合う。波の描写がリアルで動的である。

 江漢は1800年、房総木更津浦まで来ていた。浜の空に浮かぶ富士図「上総木更津浦之図」(広島県・厳島神社蔵、絹本油彩)は、江漢が長崎遊学の際、平戸で出会った鯨漁の責任者・山縣二之助の要請で筆を執ったものである。

 木更津浦(江戸湾)から見た富士を画面正面に堂々ととらえ、近景に桟橋と魚や野菜を積んだ押送り舟が描かれ、漁夫が荷物を積み込んでいる。神々しいまでの富士と働く人間との姿がしっくりと溶け合い、しみじみとした哀感すら伝わってくる。

 大自然と対峙して働く人間の姿こそ、北斎が江漢から学び取った最大のポイントであった。

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