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若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会

相国寺承天閣美術館学芸員 村田隆志氏

  • 木谷 節子

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2007年5月14日(月)

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5月13日より、京都の相国寺(しょうこくじ)境内の承天閣(じょうてんかく)美術館で、「若冲展」が始まった(会期は6月3日まで)。昨年から今年にかけて、若冲画を数多く含む「プライス・コレクション」の巡回展が話題を呼ぶなど、日本における近年の若冲人気はとどまるところを知らないが、とくに生前、彼が親しく交流していた相国寺で開催される本展覧会は、有名な『動植綵絵』(どうしょくさいえ、宮内庁三の丸尚蔵館蔵)と『釈迦三尊像』が約120年ぶりに再会する「空前絶後」の内容だ。相国寺承天閣美術館学芸員の村田隆志氏に、その意義と最大の見どころについてうかがった。


相国寺を救った若冲の傑作『動植綵絵』

 展覧会のサブタイトルにもありますように、この展覧会は、伊藤若冲が描いた『釈迦三尊像』と『動植綵絵』が120年ぶりに再会する展覧会です。

相国寺承天閣美術館学芸員 村田隆志氏

相国寺承天閣美術館学芸員 村田隆志氏

 『動植綵絵』というと、この30幅だけで完結しているような印象があるかと思います。しかし、『動植綵絵』はもともと3幅の『釈迦三尊像』を荘厳する(=仏像や菩提身を厳かに飾ること)ために描かれたものなのです。若冲と相国寺との関係は、彼が相国寺の大典(だいてん)禅師という3つ年下の和尚と親しく交流するようになって始まるのですが、『釈迦三尊像』と『動植綵絵』は、「これを寄進するから、私と両親を永代供養してほしい」という願いのもとに、若冲が10年の歳月をかけて全33幅を描き上げ、ひと揃いで相国寺に寄進されました。

 ところが、明治時代、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響で相国寺が衰え、いよいよお寺がなくなるかもしれない、という瀬戸際まできてしまった。そこで相国寺は、当時すでに有名だった『動植綵絵』を断腸の思いで皇室に献上し、その見返りとして1万円の下付金を得ます。

 この承天閣美術館にお越しいただく際、皆さんには相国寺の広い境内を通ってもらうことになるのですが、これだけ広い敷地が現在も残っているのは、まさに若冲の『動植綵絵』のおかげなんですね。ですから、それ以降、相国寺では、お寺を救ってくれた大恩人の若冲のために、毎朝、お経を上げています。

 とはいえ、相国寺にとって、『動植綵絵』を手放したということは、やはり痛恨の出来事でした。そこで、承天閣美術館を建てる時も、「いつの日か『動植綵絵』が『釈迦三尊像』とともに展示される機会があるかもしれない」と、33幅が一堂に展示できる空間を用意して「その機会」を待っていたのです。そして、開基足利義満600年忌となる今年、とうとう『釈迦三尊像』と『動植綵絵』全33幅が揃った本来の姿を、皆さんにご覧いただけることになりました。

「不肖の息子」若冲

 若冲の密画の魅力は、まず写実的であることが特徴だと思います。ただ、西洋画などの場合は、リンゴ一つ取ってもまるで手に取れるかのように描くのですが、若冲の写実は描きこめば描きこむほどヘンになっていく(笑)。どんどんアヤしく、濃密な感じになっていくんですね。

 その面白さが、若冲が「奇想の画家」と言われるゆえんなのですが、展覧会では、まず『動植綵絵』の美しさに酔っていただき、そのあとで、どうして「こんな表現をするのか?」ということに思いをいたしていただきたいと思います。

 その前に、まず、伊藤若冲という画家について、整理してみましょう。

 若冲は、京都・錦小路の青物問屋「桝源」の長男として生まれました。「桝源」といえば、今の上場企業に匹敵するぐらいの京都きっての大店です。本来ならば、家業を継いで、バリバリ商売をしなければならないのですが、若冲は、そういったことに全く興味が持てず、絵ばかり描いているような人でした。

 お酒も飲めず、歌舞音曲もできず、生涯家庭を持つこともありませんでした。彼は自分のアトリエに「独り楽しむ穴蔵」という意味の「独楽窩(どくらくか)」という名前をつけ、そこで絵を描くことだけを楽しみにしていたんです。もし生きていて、話をしてみたりすれば、さぞかしつまらない人だっただろうと思うのですが(笑)、結局40歳ぐらいで家業を弟に譲り、隠居後は絵画三昧の日々を送りました。

 今で言えば、プチ・リタイヤと言いますか、若冲を自分の生きがいのために人生を送った幸せな芸術家と思う人もいるかもしれません。しかし、江戸時代の代々の家業の大事さというのは、今と全然違いますから、京きっての青物問屋の長男が家業も継がずに絵にうつつを抜かしている、というのは、我々が考える以上に、大変なプレッシャーだったと思うんです。親との間でも「いいかげん、家業に専念してくれ」「結婚してくれ」といったバトルは何度もあったでしょうし、若冲自身もその親不孝を重々分かっていた。それでも、若冲は絵を描くことがやめられない。そんな自分自身の業の深さに、若冲は相当なコンプレックスを感じていただろうと思います。

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