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カミーユとロダン、天才同士の愛と衝突

自分を生きた女たち~カミーユ・クローデル(2)

  • 松島 駿二郎

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2007年5月18日(金)

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 カミーユとロダンが最初に出会った年は、双方の伝記作家によってややずれがある。1883年か、1888年か。いずれにしても、彫刻の師匠ブーシェがフィレンツェに旅立つ前のことだ。

 カミーユの、女性としての美しさに衝撃を受けたロダンは、カミーユにモデルになってくれと懇願した。当時ロダンは、殺到する注文をこなすため多数のモデルと多数の弟子に、アトリエ内で囲まれていた。

 カミーユはまず下働きの助手やモデルとして、出発したと見るのが妥当だろう。ロダンが取り組んでいたのは、大作『地獄の門』だった。カミーユは、その才能からたちまち助手ではなく「協力者」に格上げされた。大作の腕や脚、手をカミーユは制作するようになる。

 ロダンの手!
 「手」の彫刻ほど、ロダンの表現の新しさを示すものはない。力と生命力が細部にまで満ちあふれている「ロダンの手」。手が繋がっているべき人体はいらない。手のみに語らせる。そんな芸術表現はロダンにのみ許されていた。そしてカミーユにもまた。

 その手の彫刻をカミーユは難なく仕上げた。『地獄の門』には、カミーユの顔、人体、腕、手が採用されていく。『地獄の門』の群像にはカミーユのいくつかの塑像が溶け込んでいると言ってもいい。

 カミーユとロダンが、彫刻家とモデルの関係から一歩進んでお互いに愛し始めるのは火を見るより明らかだった。カミーユは4回ほど妊娠したらしい。そして、いずれも流産や堕胎で子供には恵まれなかった。モデルが大勢出入りするアトリエは噂の巣とも言える。噂には信憑性はない。しかし、ロマン・ロランの書簡2通に、カミーユの堕胎に関するものがあるという。

 カミーユはこういった悲劇に負けはしなかった。1890年代初頭に、カミーユはその創作能力を最大限輝かせる。

 『小さな女城主』というカミーユの彫刻を見てほしい。時には『少女ジャンヌ』と呼ばれることもある少女の胸像。ちょっと上を見上げる、純真で苦悩を全く知らない少女の像。誰でも、一目見てこの少女が好きになってしまう。

 ロダンとの愛がうまく結実しない時期に創られたこの小さな胸像は、
「まさに創造の逆説だ!」
 とある、美術評論家は述べている。

 ロダンは、『小さな女城主』を見て、
「この胸像は一撃でわたしの競争心を燃え上がらせた」
 と言ったという。ここに2人の天才の軋轢の萌芽を読み取ることはたやすい。

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