• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

ロダンからの独立と心の病

自分を生きた女たち~カミーユ・クローデル(3)

  • 松島 駿二郎

バックナンバー

2007年5月25日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 カミーユは30歳になる少し前に独立した。アトリエを「奇蹟小路」と呼ばれる貧民街に構えた。なぜ「奇蹟」かといえば、ここの住人である数々の目や耳の障害者たちが、パリの盛り場で稼いで帰ってくると、奇蹟的に一挙にピンピンの健常者に戻るからだという。

 カミーユはアカデミー(美術の本流)を知らなかった。ロダンも知らなかった。ロダンのアトリエではついにアカデミーへの繋がりを持つことができなかった。

 彼女はこのアトリエでいくつかの傑作を創作する。誰が見ても感嘆するしかない『小さな女城主』、『おしゃべりをする女たち』など、誰にも真似のできない作品を作り上げていく。

 と同時に、訣別したはずのロダンへの愛憎が、日々増大していく。ロダンはその当時栄光の頂点に立った。それを奇蹟小路から見ながら、カミーユの心は強迫観念に、絞り上げられていった。あの彫刻は私の真似だ、剽窃だ。誰も彼もがわたしを貶めようとしている。おかげでわたしは極貧の生活を強いられている。

 実際にカミーユは極貧と精神の病に喘いでいた。アトリエはゴミで埋まり、一日中何かをつぶやいている狂気の女。

 何か手を打たなければならないと感じたのは弟のポール・クローデルだった。弟のポールは、姉を愛することでは人後に落ちない。

 1890年に外交官試験を首席で卒業したポールは、北京、ニューヨーク、上海、福洲などの領事部の仕事の後、1921年から27年まで駐日フランス大使となった。フランス大使としては異例の、長期にわたる任務だった。

コメント0

「書物漂流」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

機械を売るんじゃなくて、電気が欲しい方に電気が起きる装置をソフトも含めて売るビジネスをしていこうと。

田中 孝雄 三井造船社長