「タケダジャーナル」

タケダジャーナル

2007年5月31日(木)

ウィニーこそ史上最強の「ジャーナリスト」?

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 ファイル交換ソフト「Winny(以下ウィニー)」がウィルスに感染、至るところでPCのハードディスク内の情報をネットにばらまき始めたニュースは印象深かった。

 世間は留まるところを知らぬ個人情報の流出に怯えていた。組織は、内部秘で扱われるべきデータがあっけなく外部に漏れてしまう情報セキュリティの甘さを「対岸の火事」と嗤えず、管理体制の強化を焦っていた。

 しかし私自身の印象は、怯えや焦りとは相当に隔たっていた。そうか、ウィニーはもはやジャーナリズムになったのだな――。そんなことを私は考えていたのだった。

ジャーナリズムは「プロ」のもの?

 こう書くと何を言い出すのか、気でも狂ったかと非難されそうだ。確かにジャーナリズムとは新聞社や放送局のような「プロ」集団が担うものという「常識」がある。プロのジャーナリストたちは歴史的に確立されてきた優れた調査のノウハウを持ち、独自に発掘した情報を、新聞やテレビといったマスメディアの回路を通じて広く市民社会に届ける。

 こうした図式の正しさを信じて疑わない傾向は日本では特に強く、インターネットでいくら発信をしても「ジャーナリスト」の称号が与えられることはない。ジャーナリズムはあくまでもネットの「こちら側」、つまり既存マスメディアに属している。ネットの「あちら側」=ウェブ/ブログ/個人は、何をやっても結構だが、それはジャーナリズムとは別物だ、というわけだ。

 そんな価値観があるので、ネット界の、しかも人間ですらない(笑)、かの「極悪」ファイル交換ソフトに神聖なるジャーナリズムの名を与えるとは何事かと、怒りに沸騰する人が多数いそうなのは承知している。

 しかし、ここは冷静に事実を見てほしい。たとえば2006年11月は、防衛庁にとっては北朝鮮よりもウィニーの恐怖に震えた月だったろう。29日には航空自衛隊那覇基地の内部資料と米軍情報が流出。翌日には陸上自衛隊中部方面隊と航空自衛隊北部航空方面隊の内部情報が相次いで流出していたのが発覚した。
 防衛関係の情報は、いずれにせよセキュリティ上の理由を建前に非公開とされがち。ジャーナリストが取材しようとしても門前払いされることが多い。そんな情報が呆気なく流出してしまったのだから、見方によればウィニーは凡百のジャーナリストよりも「剛腕」だったとも言える。マスメディアジャーナリズムが自衛隊の内部情報をスクープするなんて、最近では滅多にないのだ。

 2006年4月17日には上下水道コンサルタント会社の社員が書いた国会議員事務所宛の口利き依頼文書が流出している。実際には依頼に使われなかった文書だったと会社側は説明するが、それにしても国会議員と建設関係企業の近しさを改めて窺わせる価値ある情報だろう。その意味でこれもまたジャーナリストが調査して入手すべき種類のものなのだが、ウィニーに「手柄」を奪われ?ている。

 こんな事情を見てみれば――極論を承知で書けば――、今やウィニーの方が既存のジャーナリズムよりもジャーナリスティックな仕事をしているのだ(ここでのウィニー関係流出事件についてはこちらを参考にした)。

コンピュータができることを人がやっている

 かつてニッポン放送経由でフジテレビジョンの買収を試みた時、堀江貴文被告は通信と放送を融合するビジョンとしてネットのニュースサイト上でアクセス解析を施し、多くの人が知りたがっている(つまりアクセス数が多い)順番でテレビでニュースを流すというアイディアを述べていた。それに対して既存ジャーナリズム側からは「コンピュータにジャーナリズムはできない。ジャーナリズムは人間の仕事」というような反発が盛んにあった。

 こうした応酬がいかに不毛か、私は雑誌に批判記事を書いたことがある(「『ホリエモン』に評価を下す」「諸君」2005年5月号)。アクセス解析をしてニュースの掲載順を変えるシステムはホリエモンの発明でも何でもなく、当時、ネット上のニュースサイトで既に稼働していたが、そこで示される順番とテレビの報道番組がニュースを流す順番は殆ど変わらなくなっていた。

それもそのはず、テレビも大衆社会の関心の度合いを意識して番組編成を行っている。どちらも人気投票の成績順であり、結果はおのずと似てくるのだ。

 そんな事情を思えば堀江被告のアイディアを罵って「コンピュータにジャーナリズムができるか」と言い放つ虚しさに気づく。コンピュータだったらもっと省力化してできる類のニュースの選択を、テレビ局はわざわざ高い人件費を掛けて人間にやらせているだけなのだ。影響力や認知度では間違いなくマスメディアジャーナリズムの頂点にあると言えるテレビ報道は、そんな状態に至っているのだ。

 もちろんニュースの選択・編集というプロセスではなく、調査や取材に関してはまだまだ人間の活躍の場である。記者たちの地を這うような泥臭い調査活動を通じて情報は入手されている。

 しかし・・・・、ウィルス感染して自動的に秘匿情報をはき出すウィニーは、このジャーナリズムの「聖地」である取材においても「ジャーナリズム=人間の仕事」という図式を危うくしている。

 ウィニーが(制作者は自らの逮捕が原因だったと主張するが)セキュリティホールを塞がないまま放置され、結果としてウィルス感染によってパソコンの持ち主の意志を超えてハードディスクからデータを垂れ流し始めたことを「歴史の偶然」として片付けるべきではない。そんなことが可能な技術が既に用意されている。それはジャーナリズムにおいて言えば、ウィニーのようなプログラムですらジャーナリストの活動ができてしまう時代が到来したということだ。

 こうした時代だからこそ、改めてジャーナリズムとは何か? ジャーナリズムの情報を発信し、あるいは受け容れるリテラシーの能力にどのような変化が求められているか? といった問題を検討してみる必要があるのだと思う。

日本のブログが「ジャーナリズム」になるには

 もちろんウィニー自体は価値判断能力を備えていないのでハードディスク内の情報を無作為に流出させるだけ。その中に政治家や官僚の接待記録や、防衛関係や警察の内部資料あたりが含まれていて、それが首尾よく報道関係者に見つけられれば価値を発揮するが、流出情報の殆どは市井の人々の個人情報だろう。

 だが、その種の情報の価値も軽視すべきではない。そもそも情報の価値とは受信者が決めるもの。個人情報をうまく扱える人間の手に渡れば、それは千金の価値を帯びるようになる。ジャーナリズムにおいても事情は変わらない。流出情報がどんな価値を持つかは、受け手側次第なのだ。

 特にそこで視野に入れるべきは、それが他の情報と接続される可能性だ――。たとえば世界中のブログで使われている言語の量で日本語がトップに躍り出たという調査報告を先日、ブログ検索のテクノラティが発表していたが、それほどまでに日本のネット社会ではブログが花盛りだ。

 ところが、そこまでブログが増えても「日本ではブログジャーナリストが大活躍中」とか言われないことは既に書いた。それはまず第一にジャーナリズムはネットの「こちら側」にあると考える、あまり根拠があるとは思われない価値観のせいで、その点に関してブロガーに罪はない。

 しかしブロガーのスタンスにも原因の一端はある。

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著者プロフィール

武田 徹(たけだ・とおる)

武田 徹史

ジャーナリスト・評論家。『流行人類学クロニクル』(日経BP社)でサントリー学芸賞受賞。その他、『「核」論』『偽満州国論』『隔離という病』(中公文庫)、『NHK問題』『戦争報道』(ちくま新書)ほか著書多数。 東京大学先端科学技術研究センター特任教授として2003-7年にジャーナリスト養成コースを運営。(写真:都築 雅人)


このコラムについて

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インターネット、デジタルカメラ、ブログ、SNS…。情報発信の術を個人が手にした現在、ジャーナリズムの姿は否応なく変化している。それは、ネットを利用する個人が、半ば強制的に「ジャーナリズム」に巻き込まれるということだ。時代を泳ぎ切るには受け手として「メディアリテラシー」を備えるだけでは足りない。誰もが送り手になりうる状況を踏まえて、新しい時代にふわしいジャーナリズムの作法を知っておく必要がある。武田徹の「万人のためのネットジャーナリスト講座」、ここに開幕。

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