「降旗 学の「長目飛耳」」

かけたモザイク、4000本

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2007年6月11日(月)

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 始業時間は、一応10時になっている。

 だが、必ずしもその時間にデスクに座っている必要はない。期限内にやるだけのことをやってしまえば誰からも文句は出ない。だから、北川良一の出勤時間はたいがい午後と決まっている。その代わり、午後10時前に会社を出ることはない。退社はいつも終電ぎりぎりだ。

 仕事場は、およそ20畳ほどのワンルーム。ここに新旧合わせ4台の編集機器が並べられている。北村が常用するのは、最も古いタイプのものだ。使い馴れているからでもあるし、古いぶんそれなりの技術を要するからだ。作業に入ると、4〜5時間は禁煙を強いられる。分煙所で軽く一服つけて、それから編集用のデスクに座る。

 畳3枚を並べたようなどでかい編集テーブルが部屋の中央に置かれ、正面の壁には5台のモニターテレビが埋め込まれている。いくつものボリュームつまみと表示パネルが並び、それだけを見ればテレビ局の編成室を思わせる。

 北村は無言でマスターテープの再生ボタンを押す。切りのいいところでやめた昨日の続きからだ。5台ある正面のモニターが映し出したのは、一糸まとわぬ姿で横たわる女性だった。その上にのしかかるように男性の後ろ姿がある。こちらもまた裸だった。そして、男は激しく腰を動かし始めた。

 映像は、全くの無修正だった。

 カメラが寄り、画面が露骨なクローズアップになる。北川の仕事は、この無修正映像にモザイクをかけることだ。彼の仕事は、アダルトビデオのモザイク処理専門オペレーターなのである。

「こんなのはまだおとなしいほうだよ、消しは1カ所でいいからね。これが3Pだ乱交だとなれば、何カ所も同時に消していかなきゃならないから」

 モザイク処理を施すことを、アダルトビデオ(以下AV)業界では“消しの作業”と呼んでいる。

 北川は、その消しの作業に“ジョグスティック”を使う。マニュアル式の車のギアに似たインタフェースを持つモザイク処理機だ。スティックの動きに連動して、画面上に現れたモザイクも動く。男女の絡みに合わせ、モザイクをかけるべき場所を手動で追いかけるわけだ。

 右手でスティックを操作し、左手でモザイクの大きさや濃淡を調節する。作業は決して容易ではない。動きが大きすぎると、見せてはいけない個所がモザイクからはみ出てしまうからだ。だから経験を要する。今年43歳になる北川は、この道15年のベテランだ。

「ここ3〜4年はパソコンを使ったデジタル処理が主流になってきたけど、あっちはあっちで別の打ち込み作業が大変なんだ。こっちはアナログだけど、結果として1本仕上げるまでの時間は変わらないからね。だからぼくはスティックを使う……、ここでこれを使えるのはぼくだけだし」

 消しは、オペレーターの裁量に任されている。

 モザイクの濃淡や大きさを決めるのも北川の仕事だ。黙々と消しの作業に没頭する。映像に性的興奮を覚えることもない。どんなに好みの女優が出演していようと、知らないようなアクロバティックなプレーが演じられようと、性器は消しの対象でしかない。

「だってさ、毎日見てんだよ。スケジュールに沿っていくと、3日で2本は仕上げなきゃいけない計算になるんだ。休みを月に8日取るとして、少なくとも1日1タイトルかけていかないと追いつかない。最初の2週間だけだったな、興奮したのは。お前もだろ?」

 そう言って、北川はすぐ背後の席で作業をしていたスタッフに声をかけた。

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著者プロフィール

降旗 学(ふりはた・まなぶ) 

ノンフィクションライター。1964年、新潟県生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。96年、第3回小学館ノンフィクション賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『敵手』『松坂大輔 証明』他、剣崎学のペンネームで書いた『都銀暗黒回廊』など。
近著は『草野球をとことん楽しむ』(新潮新書)。 本ウェブ連載「長目飛耳」をまとめた『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)



このコラムについて

降旗 学の「長目飛耳」

本コラムが単行本になりました! 『世界は仕事で満ちている

テーマは“仕事と夢と男と女”。世の中にはこんな仕事もあるのかというような仕事、知ってはいるけど実態までは知らない仕事がある。そんな仕事に生きがいを見いだす人、夢に向かって走り続ける人、そして、仕事と恋の狭間で揺れる人々の思いを活写するルポエッセイ。タイトル「長目飛耳(ちょうもくひじ)」とは“遠くのことをよく見聞する耳と目”の意。

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