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自分を生きた女たち~フリーダ・カーロ(1)

傷ついた女神の壮絶で華麗な人生

  • 松島 駿二郎

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2007年6月15日(金)

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「自画像」[最初の]1926年(晶文社『フリーダ・カーロ 生涯と芸術』より)

「自画像」[最初の]1926年(晶文社『フリーダ・カーロ 生涯と芸術』より)

20世紀初頭、メキシコは革命の中にあった。
革命の最中に、メキシコ美術は花開いた。
巨大な壁画に、原色の主張をぶつけるような、
圧倒的な力を持っていた。その時代をメキシコ壁画時代という。
時代を率いたのはシケイロス、リベーラ、オロスコなどの画家たち。
抑圧されたインディオが立ち上がるエネルギーを壁画に描きつけた巨匠たち。
巨匠の陰に隠れるように、フリーダ・カーロという女性は
小さな鹿のように傷ついて、天才的な絵画を数多く残した。


フリーダ・カーロ(画家)
1907年、メキシコ市郊外の住宅地、コヨアカンで生まれる。18歳のとき、学校からの帰宅途中に乗っていたバスが市電に激突。壊れたバスの鉄棒が体に突き刺さる大怪我を負う。1929年、壁画家としてメキシコで最も高名だったディエゴ・リベーラと結婚。生涯、事故によるけがの後遺症に苦しめられながら、画家として成功をおさめた。1954年、47歳の若さでこの世を去る。

バス事故とディエゴとの出会い

 フリーダはメキシコの著名な写真家を父に、病弱な母親から1907年に生まれた。誰もがアンヘル(天使)と呼ぶような、活発で美しい少女に育った。フリーダの大きな誇りは、生まれてすぐに、乳母(ナナ)から授乳を受けたことだ。

 乳母(ナナ)はインディオだった。フリーダの誇りは、メキシコの血脈が、ナナの母乳を通じて、自分の中に強く流れていることだった。

 生まれて間もなく、「革命児サパタ」らの主導する、反政府ゲリラが結成され、長い内戦が始まった。メキシコ革命の勃発だ。メキシコ郊外にあるフリーダの生家近くにも、時として銃弾が流れることがあった。

 新しい革命政府が出来上がり、公共施設の壁面を画家たちに開放することになった。壁面は巨大で、それまでの絵画の尺度では、埋めきれるものではなかった。

 そこで、シケイロス、オロスコ、リベーラなどの画家たちが、ヨーロッパから呼び返された。テーマは1つ。抑圧された「インディオの情念と、その解放」。

 壁画はほかの美術とは全く違う性格を持つ。サロンや美術館、富豪の居間などの閉ざされた空間ではない。時の経過と風雨に晒され、メキシコ特有の暑気と寒気にも耐えられるものでなければならない。入場無料、24時間営業の美術館。朝の光で鑑賞し、夕日が射し込むころにもう一度鑑賞する、といった芸当もできる。いや、そうして見なければ、壁画美術を十全には理解できない。

 上記の3人は全く新しい美術の形を生み出し、世界にメキシコ壁画美術の名を轟かせた。

 フリーダが幼い時代を過ごしたメキシコの美術潮流は、簡単に言えばこのようなものだ。圧倒的な活力と、世界に打って出るという気迫に溢れていた。

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