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【第6回】 CDを欧米に売る意識がない社内組織

音楽や文化を語れない会社の上層部に問題あり

  • 諸石 幸生

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2007年6月22日(金)

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 マーラーの交響曲全集の大成功を受けて、川口義晴さんの仕事も少しはやりやすくなったようだが、今回はアルバムをヨーロッパで売っていく難しさについて語ってもらった。デノン(日本コロムビアのクラシックレーベル名)のCDは演奏品質の高さと同時に先駆的なデジタル録音により新しいソフト時代を作り出したが、優れたCD、価値あるCDを制作しても、それをクラシックの本場であるヨーロッパで売る難しさは予想以上だったという。1970年代から80年代初頭にかけて、クラシックのソフトに関してはまだまだ輸入一辺倒だった日本だが、自分たちが制作してきたCDをいかにしてヨーロッパの音楽ファンに聴いてもらうか、それはCD作りとはまた異なる試練と経験を川口義晴さんに課すことになったようである。


楽団員が腕を上げ、「俺たちのオーケストラじゃないみたいだ」

―― インバルのマーラー交響曲全集をやり遂げて川口さんの社内における立場はガラッと変わりましたか。動きやすくなったとか。

日本人が制作したCDを本場のヨーロッパに売り込む難しさについて語る川口義晴さん

日本人が制作したCDを本場のヨーロッパに売り込む難しさについて語る川口義晴さん (写真:清水健)

川口: まあ勝手なことはその前からやってきましたし、マーラー以前にもいくつかヒットはありましたが、マーラーが売れたことで社内は完全にインバル・ムードになりました。彼が来日すれば大歓迎するわけですから、今まで皆どう考えていたのかなと僕は戸惑ったほどです。僕自身は何も変わらなかった。僕はインバルと仕事したことでディレクターとしての腕は上がったと思いますし、もう1つはマーラーをきっかけに音楽を随分勉強し直したという思いもありました。

 でも、制作者として僕がうれしかったのは、交響曲第3番を編集したテープをインバルの家に持って行って、夕食をした時、フランクフルト放送交響楽団のメンバーも何人か来てましてね、彼らが言うんです。「俺たちのオーケストラじゃないみたいだ」ってね。この仕事をしたことでオーケストラの腕が確実に上がっていると楽員から言われた時はうれしかった。ことに第3番ぐらいからレベルが格段に上がりましたね。

―― 録音活動が触発するんですね、楽員を、オーケストラを。

 それは絶対にあります。細かいことをいちいち指摘されてやり直させられるんですから。そりゃ腕が上がりますよ。東京都交響楽団と録音した時だってそうですよ。録音するたびに良くなってきました。

―― シャルル・デュトワ時代のNHK交響楽団などでも、デュトワがどんどん指摘してオーケストラが変わったと思う場面はずいぶんありましたね。

 でも、日本のオーケストラで録音ディレクターがズバズバものを言って録り直すことは希(まれ)でしょう。せいぜい「すみません、もう一度」になってしまう。しかし、もう一度録るにはちゃんとした理由がなければならない。それをきちっと説明する必要がある。アーティストに負担をかけない形でやらせるのがディレクターの腕だと思います。理由が分からないまま、何回も録り直させられる演奏者の身になってください。一気にモチベーションは下がりますよ。

ヨーロッパで日本産のソフトを本格的に売るという難しさ

―― ところで、作る努力と売る努力はどうやら別物のようですね。ことに外国、それもクラシックの本場での販売となると大変なようですね。

 実は外国でディストリビューション(代理店による販売)することがどういうことなのか、どういう難しさを伴うのか、僕も含めて当時は誰も分かっていませんでした。少なくとも僕がマリア・ジョアオ・ピリスとモーツァルトのピアノソナタを録音していた頃までは、全く何もね。

―― つまり1974年前後にはヨーロッパで売るという意識も、経験もなかった?

 日本のどの会社もやったことがなかったんです。ただ、ピリスのモーツァルトに関してはフランスの「エラート」がディストリビューションしてくれたんです。それでヨーロッパでレコードが出回り、フランスのACCディスク大賞やオランダのエディソン賞も取れたんです。あの時はまだアナログのレコードの頃でしたね。

 ところが、次第に私たちはヨーロッパのアーティストとヨーロッパで録音するようになってきた。ただ、演奏家たちに録音しましょう、アルバムを作りましょうと提案しても、彼らにしてみれば作った自分のCDが自国で売られてないような会社と録音してもしょうがない。キャリアになりませんからね。私たちの会社としてもどうしても海外でディストリビューションしなくちゃならなくなった。でなければ録音活動そのものが成り立たなくなってしまう。ルートを見つけなくちゃいけない。これは本当に大変でした。

エリアフ・インバル(左)のパリ郊外の自宅でティータイム。右端が川口義晴さん、中央が日本コロムビア専務取締役(当時)の宮川譲さん

エリアフ・インバル(左)のパリ郊外の自宅でティータイム。
右端が川口義晴さん、中央が日本コロムビア専務取締役(当時)の宮川譲さん

 でもやっぱり、日本コロムビア(現・コロムビアミュージックエンタテインメント)というのは元々ハード志向の強い会社ですから(会社の上層部は元々ハード上がりの人がほとんどでした)、そっちの力を利用すればいいみたいな考え方にすぐ落ち着いてしまう。ソフトを本格的に売るという考え方がないし、その意味が分からなかった。基本的にはハードが売れればそれでいいんだから、というような考え方でした。だからハードの販売店があるんだからそこで売ればいい、せいぜいそんな程度でしたね。でもCDはレコード店に並ばないとだめなんです。そういうジレンマがずいぶん長く続きました。

―― 何か手立てが見つかりましたか。

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