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渡良瀬遊水地にて、珍種ゾウムシを捕る

2007年6月27日(水)

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 越前旅行は済んだが、虫捕り旅行はあと一日続く。鎌倉の自宅には帰らず、そのまま今度は茨城県古河まで行く。

 古河のホテルで伊藤弥寿彦氏が待っていてくれた。明日は渡良瀬遊水地に行こうというのである。遊水地は古河のホテルの目の前である。というか、遊水地の目の前のホテルを選んで泊った。

 なぜ渡良瀬に行くことになったのか。むろん話はゾウムシである。昨年、小田原の平野幸彦氏が来られて、ご自分のヒゲボソゾウムシの標本を一箱、貸してくれた。とりあえずその箱はまだ借りっぱなしだが、その中に一頭、あまり見かけない変なヒゲボソゾウムシがあった。平野さんは「これ新種でしょう」といった。でも調べて見たら、ハバビロヒゲボソゾウムシだった。昨年六月に出版された、九大の森本先生たちの総説に記載と写真があって、産地は東京、埼玉、滋賀となっている。

ハバビロヒゲボソゾウムシ
ハバビロヒゲボソゾウムシ

ハバビロヒゲボソゾウムシ

 この種は同定にいささか問題があった。ドイツのファウスト(ゲーテのファウスト博士ではない!)が十九世紀に Phyllobius japonicus Faust と命名した種である。その後、大英博物館の甲虫専門家だったシャープ David Sharp が日本のゾウムシをまとめたときに、ファウストが記載したこの種を、現在のコヒゲボソゾウムシ P.brevitarsus Kono に相当するとした。でもこの判断は間違いだった。

 シャープは有名な甲虫採集家ジョージ・ルイス George Lewis の採集品に基づいてこの論文を書いた。ルイスは十九世紀末に日本を二度訪れ、多くの甲虫を採集している。でもそのなかにハバビロの標本は入っていなかった。他方コヒゲボソはいくつも入っていた。シャープはファウストがコヒゲボソという普通種を記載したのだと、常識的に判断したのであろう。記載にはなんだか合わないにしても、確率からいえば、そうなる可能性が高いからである。ファウストの論文に図はない。

 その後、コヒゲボソを北大の河野広道が新種として記載し、森本先生がファウストのタイプ標本を調べ、あらためて現在のハバビロヒゲボソゾウムシだと確認した。

 平野さんの標本で、私はハバビロヒゲボソゾウムシというものをはじめて見て、ウーンやられた、と思った。なにが「やられた」のかって、それまで自分で捕ってなかったからである。こういうときは、やられた、と虫屋は思うものなのである。

 それが渡良瀬遊水地で捕れたものだった。そこで伊藤さんほか、虫屋が何人か箱根の家に来たときに、その話をしたら、伊藤さんがその虫なら自分も持っているという。そもそも平野さんが渡良瀬に採集に来た日に、伊藤さんも渡良瀬に行っていて、平野さんとバッタリ出会った。しかも一頭どころか、何頭も捕った。あとでそれを十頭ほど送ってくださったが、まさにハバビロだった。なんだ、たくさんいるじゃないか。

 さらに今度は、二月に台湾に一緒に採集に行った新里氏に話すと、国土交通省の河川敷調査で、渡良瀬も調べたという。ヒゲボソゾウもあったはずで、倉庫にあるはずだから、探しておくといわれた。それをちゃんと探してくれて、十頭ほど送ってくれた。これもハバビロだった。そういうわけで、渡良瀬にいけば、ハバビロが捕れるに違いない。そこで経験者の伊藤さんにお願いして、一緒に行ってもらうことにしたのである。

 伊藤さんはヤナギについていたという。そもそも湿地だから、ヤナギ、クルミていどしか、木はないはずである。ヒゲボソがヤナギにつくのは珍しい。ヤナギにいたのは偶然で、なにか特定のホストがあるのかもしれない。産地が限定された珍しい種だから、生態も変わっているかもしれない。

 翌朝、中里俊英さんも東京から駆けつけてくれた。三人で昨年捕れたという場所から始めることにした。たしかにヤナギの集団があるが、葉っぱを叩いても簡単には落ちてこない。それでも中里さんがまもなく捕った。私のほうはダメかなあと思いつつ、あたりを見回すと、クルミが一本立っている。ヒゲボソは一般にクルミが大好きなので、ヤナギはあきらめて、クルミまでしばらく道なき道を歩いて行った。

 叩いてみたらなんと、ハバビロが多数落ちてくる。要するにフツーのヒゲボソゾウムシである。べつになにか変ったホストについているわけでもない。河川敷のような湿地に適応したヒゲボソなのであろう。これならいつでも捕れると、すっかり安心して、気分が落ち着いた。いくらいるとわかっていても、実際に自分の手で捕ってみないと、安心できない。その気持ちは虫屋でないとわからんでしょうなあ。

 そういえば、その次の日に池田清彦に会ったら、今年は ツジヒゲナガコバネカミキリ Tsujius itoi Ikeda の当たり年だという。これまで年に二、三頭しか捕れていなかったが、捕った人たちの分を全部合わせたら、今年はすでに十数頭捕れた、はじめて自分の手でも捕った、といった。新属新種なのだと、この虫に名前までつけたくせに、ご自分で捕ったことがなかったんですよ、池田先生は。

 属名の Tsujius は弟子の辻君、種名の itoi は弟子の伊藤君の名前をとった。最初に辻君が雌を捕り、翌年伊藤君が雄を捕ったという。だから池田先生は、この虫が出る時期になると、最初に捕れた戸台に行っては、毎年ナシの花を掬っていたらしい。それでも今年までは自分では捕れなかった。

 やっと捕れてよかったなあ、池田君。その気持ちはしみじみわかる。僕も嬉しい。これで安心して死ねるに違いない。南無阿弥陀仏。

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「渡良瀬遊水地にて、珍種ゾウムシを捕る」の著者

養老 孟司

養老 孟司(ようろう・たけし)

東京大学名誉教授

解剖学者/作家/昆虫研究家。1937年生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。95年東京大学医学部教授を退官し、その後北里大学教授に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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