「カオスを描いた北斎の謎」

第6回 「北斎漫画」と鍬形恵斎の「略画式」

海外の研究家にいち早く認められ、称賛された「北斎漫画」

バックナンバー

2007年6月28日(木)

1/2ページ

印刷ページ

 読本の挿絵の仕事がひと段落した1812(文化9)年、北斎は関西へ旅立った。

 帰途、名古屋にいた弟子の牧墨僊(まき・ぼくせん)宅へ逗留、そこで300種の版下絵を描いた。

 それが、名古屋最大の版元・永楽屋東四郎の目に留まり、「北斎漫画」と題して、1814(文化11)年に初編として刊行された。

デッサンの確かさ、生き生きとした動きの「北斎漫画」

 漫画とは、今はやりのコミック漫画や劇画を言うのではなく、現実の人間の姿や動植物、山水風景、生活道具、仏、そして妖怪までを図解したデッサン画というふうに解釈できる。漫画を描くきっかけは、絵を習いたい人向けの手習本としての発想であるが、たくさんいた弟子のために師匠自ら手を取って教える代わりに、版本形式で刊行すれば数多くの人に流布できるということでの刊行だった。

 名古屋の版元が江戸の版元に先駆けて漫画を刊行するに至った経緯は、江戸・大坂・京都の3都市中心だった版本の流通がそれだけでは収まらず、名古屋を含め地方に拡大してゆく現象が起きていたためである。

 先見性に富む永楽屋が、「北斎漫画」の下絵を見て、デッサンの確かさ、生き生きとした動き、見ていて飽きのこないユーモラスなタッチに、これなら売れると即断、出版にこぎつけたのであった。「北斎漫画」は、翌1815(文化12)年に二編、三編を、1819(文政2)年までに九編、十編まで出し、1834(天保5)年まで十二編、北斎の亡くなる年の1849(嘉永2)年に十三編、北斎没後の1878(明治11)年に十五編が弟子たちの手で刊行されている。初編から十五編まで35年、北斎は錦絵・肉筆画・絵本・各種絵手本などを手がけながら、「北斎漫画」を描き続けたのである。

「略画式」の相撲図:東京芸術大学附属図書館蔵
「北斎漫画」の相撲図:山口県萩美術館・浦上記念館蔵

鍬形恵斎の「略画式」の相撲図(上)と「北斎漫画」の相撲図(下)。2つの相撲図を比べると、恵斎の方があっさりとした描き方をしているのに対して、北斎は手足や体の動きがリアルに生き生きと描かれている
「略画式」の相撲図(上):東京芸術大学附属図書館蔵
「北斎漫画」の相撲図(下):山口県萩美術館・浦上記念館蔵

これまで上記二つの所蔵先が入れ違っていました。お詫びして訂正いたします。


オランダの画法書を参考にして

 「北斎漫画」初編に先駆け、1812(文化9)年、北斎は絵手本「略画早指南」(りゃくがはやおしえ)初編1冊を刊行するが、この中に人物や動物などをコンパスと定規で描く奇妙な方法を図解で示している。

 この部分は、1787(天明7)年に日本橋室町・須原屋市兵衛から出した森島中良(もりしま・なから)著「紅毛雑話」巻四(常陸文庫蔵)の「紅毛の画法附銅版の法」のうち、「異本之式」の引用であると考えられる。「紅毛雑話」は、西洋の奇事や珍器を絵入りで紹介したもので、腐食銅版画を開発した司馬江漢や、まだ駆け出しの絵師だった北尾政美(きたお・まさよし)も挿画を受け持っている。

 「紅毛の画法附銅版の法」には、1707年に刊行されたヘラルド・ドゥ・ライレッセの「大絵画本」から模写した図柄が14ページ分、所載されている。そのうち「異本之式」は、1643年、アムステルダムで出版された、クリスピン・ファン・デ・パッセの画法書「絵画とデッサンの光明」を引用しているから、蘭学に精通していた中良や江漢、政美らはもちろんのこと、北斎も何らかの方法で、これら画法書を見ていた可能性がある。オランダ画法書を見た北斎は、異常な興奮にかられ、「略画早指南」にコンパスと定規で人物の姿や顔、手足、動物の姿を無理やり割り出し図解して見せたのである。

 コンパスによる円と定規でつくる角が、北斎の後の作品に表れる幾何学構成の原点ではなかったか。

ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



関連記事

Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)

Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
この記事を…
内容は…
コメント0件受付中
トラックバック
著者プロフィール

内田 千鶴子(うちだ・ちづこ) 内田千鶴子

作家・江戸文化研究家。1943年千葉生まれ。早稲田大学第一法学部卒。76年、映画監督の故内田吐夢(とむ)の次男・有作と結婚。79年、吐夢が写楽映画化のために描いた手紙(粗筋)を夫より手渡され、それがきっかけで写楽研究に入る。83年、中央公論社刊「歴史と人物」に「写楽=新史料」を発表。実証的研究を重ね、93年に『写楽・考』を発表し、大きな反響を呼んだ。著書に『写楽失踪事件』、カラーブックスシリーズ『写楽』、『能役者・写楽』。2007年1月に刊行した『写楽を追え』はドラマ風に仕立てた。現在、視点を外に向け、葛飾北斎『冨嶽三十六景』より、北斎創作の経緯および秘密に迫る研究に入った。



このコラムについて

カオスを描いた北斎の謎

90歳の生涯で膨大な作品を残した葛飾北斎。驚くべき体力と精神力の持ち主であった彼は、70歳を過ぎてから代表作『富嶽三十六景』シリーズを制作し、その後、長野県・小布施を訪れて、宇宙の混沌(カオス)を描いたかのような傑作を80代半ばに完成させた。なぜ北斎はカオスを描いたのか。『富嶽三十六景』の制作の頃から追って、その謎の真相に迫る。

⇒ 記事一覧

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事

  • いま、歩き出す未来への道 復興ニッポン

日経ビジネスからのご案内