「柳 美里の「ネット以前、ネット以後」」

私にとって、随筆は“フィクション”です

柳美里、ネットとブログを大いに語る(前編)

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2007年7月31日(火)

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 2004年1月、一般のブログ普及に先駆けて、公式ホームページ「La Valse de Miri」でブログ日記「名づけえぬものに触れて」の執筆を開始した芥川賞作家の柳美里氏。

 現在もフォトログ「柳美里の今日のできごと」を日に何度も更新し、ブログ連載「柳美里 演劇カムバックサイト『青春五月党2007』」を執筆するなど、文芸作家の中で最もネットを駆使する柳氏を切り口に、インターネットが文学などのエンターテインメントにもたらした効用と変化について、短期集中で連載する。

 まずは、柳氏にとって初のネット発書籍となる『名づけえぬものに触れて』(日経BP社)を糸口に、彼女とネットの関わりが作品や文学全体に与えた影響を語ってもらった。

(聞き手は、「日経エンタテインメント!」別冊編集長 小川仁志)

小川:まず、柳さんが、インターネットを始めたきっかけを教えてください。

柳:もともと機械は大嫌いだったんですが、必要に迫られワープロを使うようになり、必要に迫られパソコンも使うようになりました。

 初めて自分の名前を検索したのが、2002年9月24日に処女小説「石に泳ぐ魚」の最高裁判決(注1)が下った直後のことです。その時、わたしの読者で「らばるすさん」というハンドルネームの方が開設している「らばるすさんち」を発見しました。

小川:公式ホームページの名称「La Valse de Miri」は、そのハンドルネームが由来なんですよね。

7月に自身初の“ネット発”ノンフィクションを出版した柳美里さん (写真:中川 真理子)

柳:そうです。「らばるすさんち」を発見した翌月、もう一度見てみたのですが、閉鎖されていて、「引っ越し先」をクリックすると、書き込みで、管理人だったらばるすさんが自殺されたことを知りました。

 その数日後に、らばるすさんの弟のhakkaさんから、手紙が届いたんです。

 手紙には、兄のために弔いの言葉をもらえないか、としたためられていました。わたしは、弔辞を書くことはある意味でたやすいですが、らばるすさんのことをなにも知らずに書くのは、死者に対して失礼ではないか。お墓参りをし、彼の部屋でご遺族にお話を伺って、「彼を知って」から弔辞を書きたい、と申し出ました。

 翌2003年2月、ご実家とお墓のある山口県の萩に訪れました。

 その後、hakkaさんと文通が始まりました。

 hakkaさんは、らばるすさんの遺志を引き継いで電子掲示板「柳美里ファンBBS」を運営していました。そして5月の最後の日に、「柳さんにもBBS(電子掲示板)に参加してもらいたい」と申し出があったのです。

 それから、毎晩寝る前にBBSをチェックするようになり、ようやく9月18日に、書き込みを開始しました。

 その後、2005年のらばるすさんの誕生日、1月7日にオフィシャルサイトをオープンしました。もともとわたしにサイトを開くことを勧めてくださっていた文芸評論家の榎本正樹さんと、BBSに参加していた主要メンバー、榎本さんの教え子などが、ボランティアで運営にあたってくれています。

注1:1994年に柳美里氏が、月刊「新潮」で発表した自伝的処女小説「石に泳ぐ魚」は、友人だった在日韓国人女性をモデルにしたことで、訴訟問題に発展。2002年、最高裁判所で出版差し止め判決が出た。

書こう書こうと思っても、どうしても書けなくて…

小川:公式サイトのブログで、2004年1月〜2005年7月にかけて柳さんが執筆していたのが、今年7月に出版した『名づけえぬものに触れて』(日経BP社)ですよね。タイトルが印象的ですが。

柳:これは、ドイツ系ユダヤ人の詩人パウル・ツェランの詩のタイトルから取ってきています。

小川:一度ブログで書かれていた日記を出版したわけですが、その時に命があったものを、今は消えたものをこのタイミングで書籍の形にしようと思ったのは、何か理由があるんですか。

柳:本書にも書いてありますが、当時の私は、この『名づけえぬものに触れて』をやめるつもりは、全くありませんでした。でも、2005年7月7日以降、書こう書こうと思っても、どうしても書けなかった……その後、2006年の後半まで、いろいろなことに疲れ、ずっと引きこもってしまいました。本の出版も、2005年4月以降『雨と夢のあとに』(角川書店)を出してから今年の3月に出した児童書『月へのぼったケンタロウくん』(ポプラ社)までの約2年間、一冊もありません。

 確かに『名づけえぬものに触れて』は過去のブログですから“今”を伝えるものではありませんが、フィクションではない面白さがあるんです。これは、2004年1月〜2005年7月、1年半にわたるわたしの日々の記録――コミュニケーションが“取れなかった”記録なんです。

小川:つまり、今までの作品とは全く違うと?

芥川賞受賞作『家族シネマ』から10年、
ベストセラー『命』から7年――。

 柳美里さん、初の“ネット発”ノンフィクション『名づけえぬものに触れて』(日経BP社、1575円(税込))が出版されました。

 断筆に近い状態だった2004年1月から翌2005年7月の間、自殺したファン<らばるすさん>やネット上の<名づけえぬ>人々に宛て、ブログだけで語り続けた、超本音の549日間。<らばるすさん>の遺志を受け、仲間と共にホームページを立ち上げた柳美里さんが、ネットユーザーと真摯に向き合いながら、自身の日常を赤裸々に語っています。

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著者プロフィール

柳 美里(ゆう・みり)

柳 美里

1968年生まれ。高校中退後、「東京キッドブラザース」を経て、88年演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年『魚の祭』で岸田國士戯曲賞、96年『フルハウス』で野間文芸新人賞、泉鏡花文学賞受賞。翌97年『家族シネマ』で芥川賞受賞。著書に『石に泳ぐ魚』『ゴールドラッシュ』『8月の果て』(すべて新潮文庫)など。私記として『命』『魂』『生』『声』(新潮文庫)の4部作を刊行し、累計120万部のベストセラーに。近著に絵本『月へのぼったケンタロウくん』(ポプラ社)、『黒』(扶桑社)、『山手線内回り』(河出書房新社)。インターネットで「柳美里演劇カムバックサイト青春五月党2007」を連載中。



このコラムについて

柳 美里の「ネット以前、ネット以後」

2007年7月、執筆活動20周年を迎えた芥川賞作家・柳美里が、2004年1月から1年半にかけて公式ホームページで執筆していたブログ日記『名づけえぬものに触れて』を書籍化した。日本の文壇を代表する1人でありながら、フォトログやブログ連載など積極的にネットを活用する柳を通して、ネット時代の文学の変容、ケータイネットの最新事情、さらにはネット社会の知られざる現状に、深く斬り込んでいく。

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