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【第7回】 武満徹と高橋悠治という2人の天才

彼らが決別してしまった本当の理由は何か……

  • 諸石 幸生

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2007年7月13日(金)

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 1990年代に始まった川口義晴さんの新たなレコーディングが武満徹作品への取り組みであった。学生時代に武満作品を聴き、衝撃的な感動を得た経験を持つ川口さんだが、70年代から始まったレコーディングプロデューサーとしての仕事に武満作品が含まれることは不思議となかった。しかし、91年になって突如、幕が開き、結局5枚のアルバムを作ることになる。ところがその間に、武満徹と高橋悠治の2人の天才は決別することになる。その理由は一体何だったのだろうか。


義務教育の鑑賞作品に指定されていたから急遽、録音へ

―― ようやくと言いますか1991年になって武満徹作品の録音が始まりましたが、きっかけは?

武満徹について語る川口義晴さん

武満徹について語る川口義晴さん (写真:清水 健)

川口: 実に単純なことでね、日本コロムビア(現・コロムビアミュージックエンタテインメント)には武満さんの「ノヴェンバー・ステップス」の録音がなかったんですよ。でもこの曲は義務教育の鑑賞教材にも指定されている作品だという。だから急遽(きょ)作れっていうことでスタートしたのが本当の理由です。でも「ノヴェンバー・ステップス」は17~18分しかない曲だから、それだけじゃ1枚にならない。それで「遠い叫び声の彼方へ!」とか「ヴィジョンズ」といった他の作品も録っていくことになりました。それからはスコアを積み上げて、それまで聴いていなかった作品を、いろいろと勉強しました。そしてこれはやはり凄(すご)い、武満さんは面白い、ということを改めて思い知らされたわけです。

―― ライナーノートに川口さんが自ら執筆されたこともありましたね。あれは「ジェモー」が入っていたアルバムでしょうか、そのライナーに川口さんは「武満を聴くことはもう必要ではない、などというのは本当だろうか…」といった書き出しで、武満作品が持つ意味の大きさを説かれていたと思います。とても私には印象的でしたが。

 まあ自分で自分が作ったCDにライナーを書くことは「慎み」として基本的にやらないんですが、あそこで僕が言いたかったのは、つまり90年前後というのか、90年代というのは、実に妙な雰囲気があって、武満は古いというのか、軽視する動きがあったんですよ、音楽界全体にね。僕も70年半ば頃から正直なところ、現代音楽から距離を置いていました。新しい技法は全部出し尽くしてしまったし、いわゆる「ゲンダイオンガク」というものに本当にうんざりしていた。理屈だけというのか、同じことの繰り返しばかりで、つまらないと思っていた。人間の感性とあまりにも離れたことばかりやっていて、もう現代音楽を聴くのをやめちゃったりしていた時期がありました。だから武満の譜面を読み直す機会を与えられて、この人の作品はいわゆる「ゲンダイオンガク」とは違った方向を目指しているという確信のようなものがだんだん芽生えてきた。それで「武満徹はいまだ前衛である」みたいなことを、あえて書いたんです。

川口義晴さんが「死ぬほど繰り返し聴いた」と言う、武満徹作品集のレコードボックス(右)と「弦楽のためのレクイエム」の入ったレコード(左)

川口義晴さんが「死ぬほど繰り返し聴いた」と言う、武満徹作品集のレコードボックス(右)と「弦楽のためのレクイエム」の入ったレコード(左)

武満徹との出会い、高橋悠治への思い入れ

―― しかし随分時間がかかりましたね、プロデューサーという立つ場にありながら武満作品を録音するようになるまでには。しかも若い時から鮮烈な影響を受けてきた川口さんですから。そもそもの出会いというのを改めて聞かせてください。

 最初に僕が東京に出てきた時、大学1年の時かな、20世紀音楽研究所の最後のコンサート(1965年)があったんですよ。そこで武満さんが「ソナント」という曲を発表したんです。それは後に「ヴァレリア」(69年)という曲に改作されます。僕は「ソナント」の方がずっといいと思っていますが、その時に初めて僕は武満さんを実際に見た。そしてポツンとロビーに1人たたずんでいた武満さんに、「素晴らしかったです」と話しかけました。「あ、ありがとう」と答えてもらいましたが、ただそれで終わりでした(笑)。

―― それからの接触は?

 うーん、特にありませんでした。もちろん同じクラシックの業界にいたわけですから接点はありました。でも、僕は70年くらいから、武満作品に距離を置くようになっていました。僕は「ノヴェンバー・ステップス」の仕事で先ほど言ったように武満を再発見したわけです。

―― と言いますと……

 高橋悠治にかなり入れ込んでいた時期があったんです。今でも僕は高橋悠治を天才だと思っているし、だからこそつぶさに武満と高橋が決裂した経過というのもよく知っているんです。僕自身は高橋悠治が「水牛楽団」に傾斜していった時期に彼とは離れちゃったんですが。

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