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新説 マヤ文明の興亡

歴史に埋もれた「武将」の存在

  • 藤田 宏之

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2007年8月10日(金)

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 ユカタン半島に広がる熱帯雨林や、メキシコ南部やグアテマラの高地に花開いたマヤ文明。壮麗な都市遺跡をもつこの文明は起源を3000年前の先古典期までさかのぼり、古典期と呼ばれる西暦250~900年に最盛期を迎えたが、その後は衰退の一途をたどった。

 古典期マヤは、メキシコ中部から有力な武将がやってきた時期を境に興隆に向かい、パレンケのパカル王の翡翠の仮面のような傑作芸術も生み出した。その後、天災や人災に相次いで見舞われ、密林に出現した偉大な都市文明が再び森に埋もれていくことになる。



ユカタン半島北部にある都市遺跡チチェン・イツァの威光を示す「戦士の神殿」。チチェン・イツァは、西暦1000年を過ぎてマヤ地域南部の都市がすでに滅んでいた時代まで、交易の中心地として栄えていた。神殿内部の壁画は、陸路と空路で物品がもたらされたことを示している。神殿の前にある角柱には、羽の頭飾りをつけて武装した戦士たちの姿が浮き彫りされている。
ユカタン半島北部にある都市遺跡チチェン・イツァの威光を示す「戦士の神殿」。チチェン・イツァは、西暦1000年を過ぎてマヤ地域南部の都市がすでに滅んでいた時代まで、交易の中心地として栄えていた。神殿内部の壁画は、陸路と空路で物品がもたらされたことを示している。神殿の前にある角柱には、羽の頭飾りをつけて武装した戦士たちの姿が浮き彫りされている。

 古典期マヤの中興の祖となったのは、シヤフ・カックという武将だった。彼がマヤの都市ワカにやってきたのは、乾期に入って密林の道が固まり、軍勢が通れるようになってからだった。戦士たちを従えて街に入城し、神殿や市場の前を通過して、広場を堂々と横切っていった。ワカの人々は、侵攻軍の誇示する武力に驚き、はるかかなた西方の都市国家の王権を象徴する華麗な羽の頭飾りや槍、鏡張りの盾に、目を見張ったにちがいない。

 古代の碑文によると、現在のグアテマラにあった都市ワカにシヤフ・カックが到着したのは西暦378年1月8日のことで、その名前は「火の誕生」を意味していた。現在のメキシコ市近くにあった強大な都市国家テオティワカンから派遣されたと考えられているシヤフ・カックの名は、その後の数十年間、マヤ地域各地で石碑に刻まれた。この男の登場をきっかけにマヤ文明は急速に発展し、その後500年にわたる黄金時代を謳歌したのだ。

 マヤ文明は長い間、謎に包まれてきた。数十年前まで研究者たちは、壮大な都市遺跡や美しい未解読の文字から、マヤは神官と書記が治める平和な国だったと考えていた。だが、マヤ文字の解読が進むと、王朝間の戦いや宮廷内の権力闘争、宮殿の焼き討ちといった血なまぐさい歴史が浮かびあがってきた。

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