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第9回 待ちに待っての“シャッターチャンス”

見る者が大自然に抱かれているような、悠々たる富士を描く

  • 内田 千鶴子

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2007年8月10日(金)

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 1831(天保2)年から翌年にかけて、北斎はあらゆる方位・季節・気象・時間を変えて見た富士の姿を写した大横判錦絵『冨嶽三十六景』を、日本橋馬喰町の版元・西村永寿堂から刊行した。折からの富士を天地創造の祖神とする富士山信仰に基づく登山ブームのお陰もあずかって、『冨嶽三十六景』は大評判を得た。

 『冨嶽三十六景』のうち、富士を間近から見て、その姿を真正面からとらえた「凱風快晴」と「山下白雨」は他の絵師の追随をゆるさぬほど、圧倒的な量感と雄大さで見る者を黙らせてしまう。

葛飾北斎 『冨嶽三十六景』より「凱風快晴」 東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives

葛飾北斎 『冨嶽三十六景』より「凱風快晴」 東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives


 北斎はこの2作品を描くため、方位・季節・天候・時間など精密な計算のうえ、富士近くに陣取り、これはという瞬間を狙い、俗に言う“シャッターチャンス”を待ちに待っての作画であったと考えられる。

朝日を受けて赤く照り映える富士の威容に遭遇

 では、2作品は具体的にどの地点から見上げた富士を描いたのだろうか?

 北斎は、当時の富士登山者の通例に従って、富士の裏側(甲州側)、吉田口(北口)方面近くの河口湖畔から「凱風快晴」を、そして富士の西側、もしくは南西(静岡県と山梨県の県境)方面から「山下白雨」を描いたのではなかろうか。

 古来、富士は女人禁制であり、1合目から5合目までを人間界(迷界)、6合目から山頂までを天上界(聖界)と区分していた。現在でもバスや車は5合目までで、それ以上の進入は禁止されている。5合目以上は天上界、神の領域に入るという考えが今もって残っているからだ。

 「凱風快晴」は夏から初秋にかけての晴天の日の早朝、太陽で山肌が真っ赤に染まった瞬間を狙ったものである。

 1821(文政4)年、紀州和歌山の絵師・野呂介石(のろ・かいせき)が「紅玉芙蓉峰図」と題して、絹本着色で、昇る朝日に赤く輝く富士の峰と、麓に茂る緑色の松林を伸びやかなコントラストでとらえている。

 北斎は、介石の「紅玉芙蓉峰図」や南蘋派(なんぴんは)の宋紫石、狩野派の絵師たちの秀麗な富士図を参考にしたようだが、自分しか描けない富士をなんとかものにしたいと老骨に鞭打って、はるばる江戸から吉田口まで出かけて待ったあげく、晩夏の早朝、真っ青に晴れ渡った空に、朝日を受けて赤く照り映える富士の偉容に遭遇できたのである。

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