前回は、芥川賞作家・柳美里氏が初めて出版したブログ書籍『名づけえぬものに触れて』(日経BP社)をベースに、柳氏とネットの関わりについて語ってもらった(前回の記事はこちら)。今回は、彼女の創作活動の根源でもある演劇にまで話を広げ、ネットを使った表現の可能性について聞いた。
(聞き手は、「日経エンタテインメント!」別冊編集長 小川仁志)
小川:ネットやブログでは、文字数の制限がないのはもちろんのこと、横書きだったりしますよね。純文学作家の柳さんにとって、そういった書式の違いに、違和感は覚えませんでしたか。
柳:特になかったですね。私にとっては、「どこに書くか」というのが非常に大きなウエートを占めていて、例えば「週刊朝日」で連載していた『家族の標本』(朝日新聞社)は3枚弱、毎日の新聞小説だと2枚、「週刊ポスト」の『命』(新潮文庫)は20〜30枚など、書く場所によって文字数が変わるのはもちろんのこと、どういう読者層に向けて書くのかということを、ちゃんと考えてから書き始めていました。

7月に自身初の“ネット発”ノンフィクションを出版した柳美里さん (写真:中川 真理子)
同じ紙媒体であっても、週刊誌と文芸誌ではおのずと違ってくるものだし、それによって、形式が変わるのは、自然に納得がいきます。だから、ネットにはネットに向いた書き方で、それに合わせて、読者が読みやすいように書ければいいと思っています。
ちなみに雑誌って、どんなに大部数でも「特定少数」というか、ある程度、読者数が見えているじゃないですか。ネットは「特定多数」で、何かの瞬間にうわっと化けて、10倍20倍の読者がつく可能性がある。そういうのは、雑誌にはない“可能性”ですよね。
小川:確かに。柳さんは、11年ぶりに芝居の公演の実現を目指す過程を描いたブログ連載「青春五月党2007」(ブログ連載はこちら)を始めました。
柳:はい。もともと私は、小説家になる前に芝居をやっていたんです。
16歳の時に高校を中退し、東由多加(注1)が主宰していたミュージカル劇団「東京キットブラザース」に入団、女優を目指した後、18歳の時に演劇ユニット「青春五月党」を立ち上げ、1996年までの間に10本の芝居を書いています。
今考えれば、ひどい鬱状態だったんですね
柳:「名づけえぬものに触れて」を書き始めた2004年から昨年の夏頃まで、ずっと引きこもっていて――今考えれば、ひどい鬱状態だったんですね――という時期が続いていたのですが、『月へのぼったケンタロウくん』(ポプラ社)を書き始めたあたりから、だんだん復調してきたんです。秋頃には、「2007年は5月に執筆活動20年を迎えるし、何か新しいことをやってみたい」という前向きな気持ちになってきました。そこで、今までおつき合いのなかった出版社で仕事ができないかなと。
以前、「名づけえぬものに触れて」に関して初めてインタビューを申し込んできた日経BP社の平島さんに連絡を取ったところ、彼女の上司が、昔、私の芝居を見てくださっていた小川さんだった。「ネットで連載を」という話になった時……確か、小川さんでしたよね? 「柳さん、もう芝居はやらないんですか」とおっしゃったのは?
小川:そうですね(笑)
柳:お芝居を辞めたわけではなかったのですが、小説の方が忙しくなってしまい、お休みしていたら、10年以上も経っていました。でも、「またやりたいな」という気になっていたところだったので、タイミングがちょうど合ったというか。
小川:ネットという場所で、芝居という題材を描かれることについては、どう思いますか。
ベストセラー『命』から7年――。
柳美里さん、初の“ネット発”ノンフィクション『名づけえぬものに触れて』(日経BP社、1575円(税込))が出版されました。
断筆に近い状態だった2004年1月から翌2005年7月の間、自殺したファン<らばるすさん>やネット上の<名づけえぬ>人々に宛て、ブログだけで語り続けた、超本音の549日間。<らばるすさん>の遺志を受け、仲間と共にホームページを立ち上げた柳美里さんが、ネットユーザーと真摯に向き合いながら、自身の日常を赤裸々に語っています。
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