
『民主主義という不思議な仕組み』 佐々木毅著、ちくまプリマー新書、760円(税別)
1時間20分
「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう。」(ルソー『社会契約論』岩波文庫)
これはルソー(1712-1778)がイギリス政治の代表制度に向けた批判の言葉。
時代も場所もちがうので、一見他人事のようだが、「イギリス」を「日本」に置き換えてみるとどうだろう。
おいおい、選挙中かどうかに関係なく自分は自由だぞ。だってここは民主主義の国じゃないか。
そう考える人にとって、「民主主義」とは別に不思議でもなんでもない当たり前の制度だろう。むしろ『民主主義という不思議な仕組み』だなんて書名のほうが不思議に感じられるかもしれない。しかもちくまプリマー新書といえば、中高生を想定読者とするシリーズ。いまさら読むまでもないと思ったとしても無理はない。
だが、本書はまさにそういう人にこそ必要な本だ。
なにかを自明視することには、そこに潜んでいる問題にも無感覚になってしまうという罠がある。よく書かれた入門書には、知らないうちに凝り固まってしまったそんな「当たり前」をもみほぐし、感覚を取り戻すという効果がある。
では、民主主義のどこが不思議なのか。
政治家が私たちを代表すると、思えるか?
第一、数千万という人々が投票をして政治の行方を決めると言うけれど、重大事を決めるにしてはなんとも頼りないやり方ではないだろうか。
投票しない人が何割もいるような選挙でものごとを決めて大丈夫か。投票者は、見栄えがよくて口のうまい政治家に騙されていないか。選ばれた政治家は、ちゃんと人々のためになる働きをするのか。そもそも選ばれた政治家は誰の意思や利益を代表しているのか。
「民主」と言うものの、政治においては民を代表する政治家や、行政を遂行する官僚が主ではないか。選挙以外の期間は、どうやって政治家にわたしたちを代表させるのか(これが冒頭のルソーの問題意識だ)。
一口に民主主義と言っても、古代ギリシアの都市国家(ポリス)と近代とではちがうし、近代の民主主義にしても、たとえばイギリス式の議会制とアメリカ式の大統領制とではまたちがう。とすると、どのやり方がベターなのか。そもそも民主政以外の選択肢はないのか、云々。
並べてみればどれも素朴な疑問ばかりだ。だが、問いが素朴だからといって、答えも同様に単純素朴になるかといえばそうではない。ここには数々のメンドウで厄介な問題が潜んでいる。
その厄介さの原因は、やはりなんといっても「代表」という仕組みにある。民主という以上、君主や独裁者や一部のエリート指導者ではなく、人民の意思を反映した政治を営もうというわけだが、国土の空間的な広がりや人口の大きさを考えれば直接民主政は採りえない。
そこで少数の政治家が民意を代表する立場で働くことになる。だが、この「代表」というやり方が問題だ。著者はこれを「みなし」という言葉で整理する。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。










