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第11回 中国の技法に学んだ『諸国名橋奇覧』

寂寞として静けさに、虚無の心境の表れを描いた名作

  • 内田 千鶴子

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2007年9月13日(木)

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中国の「界画」に触発されて描いた

 1831(天保2)年から翌年にかけて刊行した横大判錦絵『冨嶽三十六景』の大ヒットに気を良くした北斎と版元・西村永寿堂は、2年後の1834(天保5)年頃、全国各地に架けられた有名な橋の中からユニークな構造の橋を選び出し、それに焦点を絞って描いた大判錦絵『諸国名橋奇覧』11枚揃(そろ)いを売り出した。10年前の1823(文政6)年から1824(文政7)年にかけ、絵を描くということに疲れた北斎がある秋の日に手がけたという大々半錦絵『百橋一覧』という作品がある。

 現実の風景とは違い、ゴツゴツした岩肌が剥(む)き出した山水の間に間に、種々の形をした橋が100カ所近く架けられている奇妙な俯瞰図である。これは中国清代、江蘇省揚州で「界画」に腕を振るっていた袁耀(えんよう)の山水画を見て触発されて描いたものと考えられる。

 界画とは、9世紀後半、五代十国時代に花開いた絵画上の技法で、山水画や人物画で岩山や山々の間に見える楼閣・船・橋・車・家具などの構造物を寸分の狂いもなく定規などを使って細密に描く方法を言う。

 清代では、山水画や肖像画が絵の主体だったから、界画を描く絵師は工匠とみなされ、けなされる存在だった。それゆえ、あまり界画を描く者はいなかった。

 しかし、北斎は中国であまり評価の高くない界画に目を着けたのである。

 『冨嶽三十六景』のうち、「上総ノ海路」と題し、2隻の五大力船が前景の海に浮かび、遠くに富士を望む構図があるが、この五大力船のマストやロープ、船体の精緻な描法は、五代後期に界画で名を成した郭忠恕(かくちゅうじょ)の長江を渡る船を描いた『雪霽江行図(せっせいこうこうず)』をモチーフにしたのではなかろうか。

 中国の界画技法に目覚め、それをよりクローズアップさせて描いたのが、『諸国名橋奇覧』であったと考えられる。

屹立とした崖の上の本堂と茶室をつなぐ橋

 『諸国名橋奇覧』に選ばれた橋は、(1)京都嵐山付近に架けられた「山城あらし山吐月橋」、(2)平安時代の歌物語、在原業平作『伊勢物語』にある三河の「八ツ橋の古図」、(3)山口県岩国川に架かる「すほうの国きんたいはし」、(4)愛知県岡崎と矢作(やはぎ)にかかる全長200メートルに及ぶ大きくて長い橋「東海道岡崎矢はきのはし」、(5)「かめゐど天神たいこばし」、(6)謡曲や古典をヒントにした「かうつけ佐野ふなはしの古図、(7)「摂州阿治川口天保山」、(8)福井県足羽(あっぱ)市内に架かる九十九橋「ゑちぜんふくゐの橋」、(9)大阪市の東区と北区を結ぶ「摂州天満橋」。それぞれ橋の特徴や構図をピックアップして描いている。

 残りの2枚、「足利行道山くものかけはし」と「飛越(ひえつ)の堺つりはし」は、他の作品と趣が全く異なっている。

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