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第12回 応挙の高弟、蘆雪に惚れ込む

造形がとてもシャープで、機知に富み、サービス精神も旺盛

  • 宮島 新一

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2007年9月20日(木)

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 研究者の鑑定能力に信頼がおけないせいか、日本美術史ほど隣接分野から敬意を払われない学問はないように思う。その成果はほとんど受け入れられていない。研究者間の鑑定の不一致もさることながら、美術作品を取り上げながら美に対する関心を脇において記述するという一種のごまかし。たとえ果敢に美に立ち向かったにしても、文章力のないものが美術作品を語るという根本的ないかがわしさ。日本美術史につきまとう胡散(うさん)くささ、後ろめたさはかなり長い間わたしを悩ませてきた。やっとそこから抜け出すことができたのは、40歳を過ぎた頃だったように思う。

日本人らしい風景画を描いた、心に響く蕪村の屏風画

 先輩に蕪村の研究者がいた。その人に連れられて丹後(今の京都府北部)に行ったのが近世絵画の面白さに目覚めるきっかけだった。与謝蕪村の母親は丹後の加悦(かや)町与謝の出身という口碑もあるが、蕪村は3年ほど宮津に滞在していたことがある。昭和48(1973)年の秋に丹後地方に伝わる蕪村の絵画を集めた「丹後時代の与謝蕪村遺墨展」が宮津市中央公民館で開かれた。まだ、画家として大成する前の作品が中心となっていたために、未熟だった私にはとても蕪村の真筆とは思われないものがいくつかあった。画家は一生のうちに大きく画風を変えることがある。それを十分に承知していないと、当時の私のように判断を誤る。先輩に言わせると、文人画は線にリズムがあるかどうかが真贋を見分けるコツなんだそうな。

 この展示会でもっとも心に響いた作品は『晩秋烏図』と題された屏風であった。稲束を積み上げた上を一群の烏が飛び、傍らに鳴子が立てられているだけのごく簡単な図である。墨だけということもあって、晩秋の寂しさがよく表されていた。絵画とは言え、まさに俳句そのものである。中国では、ありふれた光景を水墨画の主題にするようなことは決してしない。蕪村はいかにも日本人らしく身の回りの風景を描くアンティミストの代表格である。今でも文人画では蕪村がもっとも気に入っている。俳句も蕪村が一番好きだ。

 代表句の1つ「夏河をこすうれしさよ手に草履」は丹後滞在中の句である。

 俳句は小さい時から割りと好んでいた。今でもそうだが、短歌は直接的でどうもなじめない。ちなみに、2番目に好きな俳人は無季俳句の旗手、西東三鬼である。理由は終戦をはさんだ一時期、神戸に住んでいたという単純なことだ。私が神戸にいたのはたった1年間である。小学4年生の時に母のもとから父のもとへと移され、男手だけのためろくな暮らしではなかったが、子供の頃の記憶からは暗い部分が省かれる。山と海とが迫った町の印象はとてもよかった。もっとも住みたい町に神戸が選ばれる理由がよくわかる。明るい市街を市電に乗って終点まで行くのが唯一の楽しみだった。

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中谷 巌 「不識塾」塾長、一橋大学名誉教授