「音楽プロデューサーという仕事」

音楽プロデューサーという仕事

2007年9月21日(金)

【第12回】 古楽器演奏は手段で、目的ではない

変なアカデミズムに陥って退屈なものになりかねない状況

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 前回に引き続き、演奏という行為をアカデミズムとして押さえておくべき事柄と、だからと言ってそれが即、感動的な演奏とはなり得ない難しさとがインタビューの中心である。今回はことに古楽演奏を例に、正しい演奏のあり方と、それをもう一歩踏み越えなくては生きた人間の音楽とはなり得ない、そんな論議が展開されていく。時代は進歩と発展を重ねて現代に至っているのか、それとも時に後退することだってあり得るのか。音楽の場合その見極めすら難しく、安易には結論は出せないが、そうした変遷を意識しつつ現代の演奏としてのあり方を究める大切さも見えてきたように思われる。


―― アカデミズムにこだわるわけではありませんが、先日来日してベートーヴェンの交響曲とピアノ協奏曲などを演奏した指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが面白いことを言っていました。以前は関心を抱いていた古楽オーケストラの演奏が近年、自分には面白くなくなってきた。なぜならフルトヴェングラーに代表される演奏がもつ魂そのものに訴えてくるエネルギーが多くの古楽演奏にはないからだ、との意見でした。

古楽奏法やイギリス音楽界の現状について語る川口義晴さん

古楽奏法やイギリス音楽界の現状について語る川口義晴さん (撮影:清水健)

川口: 古楽の演奏もいわゆる変なアカデミズムに陥って退屈なものになりかねない状況になっているんですよ。つまり古楽演奏も手段であって目的にはなりえない。そういうことをやったからあの演奏は素晴らしいなんて、ありえませんよ。論理的にはつながらないですよ。僕は、古楽アプローチは基本的には好きですが、それで本当に面白いことをやっている人は実はそんなにいません。だから、これまでモダン・オーケストラしか指揮しなかったエマヌエル・クリヴィヌなんかが、今パリで自分のオーケストラを持っていますが、シャンブル・サンフォニクだったかな、すごく面白いですね。それは古楽のアカデミックなやり方にはとらわれないで、素晴らしい音楽を作り出している。しかも、古楽の響きの中でね。

昔と比べ音量が変り、音色がつまらなくなった

―― ヴィブラートをかけないから正しいとか、ガット弦だからいいとか、少人数だから正解といったことではないんですよね。

 もちろんですよ。E.T.A.ホフマンが小説の中でベートーヴェンについて書いていますが、「ここぞという時にはヴィブラートをかけて」という表現があるんです。だからあの時代にだってヴィブラートはあったんです。ただ、我々がチャイコフスキーをきちんと把握できているかどうかは分からないけれど、長いフレーズをたっぷりとヴィブラートをかけて演奏する習慣は多分彼の時代にもなかったかもしれない。まして、それをモーツァルトに使うというのはね。

―― それと技術に関してですが、モーツァルトの時代の技術は後の時代に較べると劣るという考え方は?

 それは間違いでしょう。

―― つまりモーツァルトの時代にはモーツァルトの時代の技術があり、その完成された姿はとても素晴らしかった?

 ものすごく巧かったと思う。

―― じゃ、モーツァルトの時代よりベートーヴェンの時代が進化し、19世紀よりも20世紀の方がさらに進化してきたという認識も……。

 まったく間違っているでしょう。技術の問題でいうと、モーツァルトの時代のオーボエはキーが2つしかなかった。でも、それでもfの音を出せたんです。今の人に出せといっても難しい。モダン楽器ならキーはたくさん付いているから容易です。でも昔のfは、今の楽器で出せるfとは違って、思いっ切り吹かなきゃ出ないfだから、現代の音とは当然違ってきます。弦楽器もそうで、モーツァルトの弦楽四重奏曲、それも後期になるとものすごいハイ・ポジション(高い音域のこと)を使っている。ベートーヴェンもそうで、チェロだけやたら高い音域が使われていたりする。でもこれは特別に名演奏家がいたからではなかったと思うし、楽器が改善されたからとも思えない。確かに音量は大きくなったでしょう、魂柱(弦楽器で表板と裏板をつなぐ棒。魂柱によって裏版まで振動が伝わる)の作り方とか置き方が変わったり、スチール弦に変わったりしてね。でもそれは音楽の大衆化、つまり大きなホールで多くの人たちが聴くようになったことに対応しているのであって、そのために犠牲になった点、ことに音色をつまらなくしてきた点は大きい。だからモーツァルトの音楽などはそういうことを知り、考えながら演奏すべきだと思う。ただ演奏法に関しては本当のところは分からないという難しさがありますけどね。

ラヴェルの作品を録音中の指揮者インバルとフランス国立管弦楽団。1987年から89年にかけてラヴェルのオーケストラ作品集が4タイトル制作された。写真提供:コロムビアミュージックエンタテインメント

ラヴェルの作品を録音中の指揮者インバルとフランス国立管弦楽団。1987年から89年にかけてラヴェルのオーケストラ作品集が4タイトル制作された。写真提供:コロムビアミュージックエンタテインメント

音楽の演奏は進歩しているのか後退しているのか

―― 当時の録音があるわけてじゃないし。

 でもね。やはり演奏する以上は我々の音楽として演奏しなくちゃならない、これは大前提でしょう。つまり我々はモーツァルトもやるけれども、ストラヴィンスキーも知っているし、ブレーズも知っている。そういう経験を重ねてきた人間がとらえるモーツァルトは、やはりモーツァルト時代のそれとは違ってきていると思いますよ。

―― 違ってきていいんでしょうね。

 そうでなければ、博物館に収まる文化財みたいなものになってしまう。それじゃどうにもならない。モーツァルト時代の演奏のことに限らないけど、歴史というのは常に進歩するものだという考え方は取らない方がいい。後退する場合だってあるわけですよ。でも我々が受けてきた教育は江戸から明治、明治から大正、大正から昭和と良くなってきたという教育だった。まあ、進化論だけど、実はそれは間違いであって、江戸時代の百姓たちが貧困にあえいでいたかというとそうでもない。そういう貧農歴史観は今や完全に打破されている。江戸時代の農民は白いコメを食っていた。でも我々が授業で習ったのは、作ったコメは全部年貢に取られて、百姓は麦と粟・稗(ひえ)を食っていたとされてきた。しかし、あの時代の石高とかをみると、そんなはずはありえない。白いコメを食っていた。検地・刀狩りがあった秀吉の頃から年貢は基準も変わっていない、しかも百姓たちは水を通す工夫をしたり、土地を改良したり、品種改良したりして、生産高をものすごく上げてきている。網野史学と呼ばれるものに、僕は依存しているのですけれど、網野善彦の歴史学は衝撃的だった。それまでのマルクス主義歴史観も含めた進歩主義的歴史観を完全にくつがえした。

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著者プロフィール

諸石 幸生(もろいし・さちお)

諸石 幸生

1948年佐賀に生まれる。早稲田大学法学部に学び、学生時代はオーケストラでトロンボーンを吹き、また夜はバンドマンを務める。音楽鑑賞教育振興会に勤務、義務教育課程における鑑賞指導法の研究と『演奏家大事典』の編纂に従事。1984年「音楽通信」(ステレオサウンド社)の創刊者の1人となるが、その後は音楽評論家として雑誌、新聞、ライナーノートの執筆、放送番組などを行う。著書に『トスカニーニ』『クラシックがわかる超名盤100』(音楽之友社)、『現代の名曲名盤1000』(講談社)、『クラシック新鮮組』(JICC出版局)など。


このコラムについて

音楽プロデューサーという仕事

 日本コロムビアのクラシックCDを制作されてきた大ベテランのレコードプロデューサー、川口義晴氏。制作点数も驚異的だが、国内外の賞を受賞した力作、優秀作も数多い。
 この連載インタビューでは、クラシックCD制作の喜び、苦労、エピソードをうかがうとともに、制作に注がれてきた情熱、こだわりも併せて拝聴し、一枚のCDが実は制作者側の作品である事実もクローズアップしてゆく。

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