「広田教授の「教育も、教育改革もけしからん」」

「凶悪犯罪は低年齢化」していない
〜子どもに対してせっかちな大人たち

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2007年10月12日(金)

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【特命助手サイトーの前説】

 これからしばらくの間、「子ども」をテーマにした話をお届けしていこうと思います。子どもの話というと、身近にいる子どもをサンプルにして、一般論を展開しがちです。実際、僕が尋ねても「(子どもたちが)おかしくなっている」と答える人もいれば、「昔と大して変わってない」と言う人もいます。

 こうした床屋談義は、それはそれで面白いのですが、もう少し客観的なデータで見ると、どうなのか。教育改革論が下敷きにしている「青少年の規範が低下している」「少年犯罪が凶悪化している」といった現状認識は正しいのか。広田先生は、早くからこうした言説に疑いの目を向け、安易な<青少年の凶悪化>論に警鐘を鳴らし続けてきました。

 誤った現状認識のもとでは、ソリューションもまた誤ってしまいます。果たして子どもは本当に変わったのか? 実は子どもを見る大人の視線が変わっただけではないのか。今回も、皆様からのさまざまな意見をお待ちしております。

 今回と次回にわたって、昨今の教師バッシングや教育改革論を用意した、より大きな背景に戻って考えてみたいと思います。あらかじめ結論を言えば、ここ最近の教師バッシングや教育改革論には、子どもの成長を「プロセス」として考えることができない、世の大人たちの「せっかちさ」みたいなものが孕まれているのではないかと思うのです。

 「学校が○○をやっていないから、子どもがひどいことになっている」と決めつけて、過剰で性急な要求を学校に押しつける。こうしたせっかちな要求をぶつける先が、教師であれば教師バッシングになるし、「今までのシステムはおかしいぞ」という話をすれば教育改革論になる。

 いずれにせよ、ここには子どもの成長や成熟を待ちきれないで、大人側のいろんな願望が入り混じった性急な要求が、教師や学校改革論にぶつけられているという構図が見られます。

 しかし、学校も教師もドラえもんの四次元ポケットではありません。それどころか、行政や家庭から無理難題を突きつけられて、パンク寸前になっているのが現在の学校の実態です。

 少し先回りして言えば、こうした現状に、いたずらに要求を積み増ししても、さらに消化不良を起こさせるだけで得策とは言えません。大切なのは、「あれもこれも」ではなく、学校でやるべきこと/やらなくてよいことを峻別すること、さらに、各学校段階で子どもの発達に見合ってやるべきこと/やるべきでないことを区別することです。

「規範が身につかずに育っている」のウソ

 私の見るところ、道徳教育の強化という議論も、そうした「あれもこれも」の1つです。そこで今回は「今の子どもは規範が身につかないまま大人になっている」という議論はウソだという話をしたいと思います。道徳教育が必要だとか、徳育を教科にしろとか、そういう主張の背景にある現状認識は、果たして正しいのかどうか。

 2003年に提出された中央教育審議会の教育基本法の見直しに関する答申では、「教育の現状と課題」についてこんなふうに書かれています。

「教育は危機的な状況に直面。青少年が夢を持ちにくく、規範意識や道徳心、自律心が低下。いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊が依然として深刻。青少年の凶悪犯罪が増加……」

 これを読むと、教育がひどいことになっている。誰でもそう思うでしょう。しかし、この種の「今の子どもたちは大変な状況だ」という言説は、中身のバリエーションを違えながら、1960年代にも、70年代にも、80年代にも、90年代にも繰り返されてきています。明治の終わりだって、大正期だって、同じように青少年の問題は語られていました。大人が教育を語るときのステレオタイプであるとも言えます。

 確かに、今の学校には、さまざまな解決すべき問題がある。また、すべての子どもが学校にうまく適応し、親や先生の言いつけをよく聞いて、まじめで規律正しく生きているわけではないでしょう。

 しかしながら、人が成長・成熟していくプロセスは直線的なものではありません。誰もが多かれ少なかれ、「イライラ、モヤモヤ」を抱えながら彷徨するのが、10代半ばの時期の子どもたちだと私は思います。

 考えてみるべき重要なポイントは、「子どもたちは規範が身につかないまま大人になっていっているのか?」という問いです。私の答えは「NO!」です。大人が用意したマジメな規範の世界からはみ出して生きている子どもたちが少なくないことは確かです。でも、その「イライラ、モヤモヤ」のプロセスを経て、ほとんどの子どもは、ちゃんとした大人に成熟しているのです。

図1:年齢層別窃盗検挙者数の推移

図1

図1 出所:警察庁『犯罪統計書』各年版より作成

 図1は窃盗検挙者数の推移を年齢別に見たものです。子どもの場合は万引きと自転車泥棒が多いのですが、この図を作ってみて私が驚いたのは、10代の発生率と20代以降が対応していないということです。

 ご覧のように、10代の窃盗検挙者数は、1960年代半ばや70年代末〜80年代初頭のところに山ができています。しかし、もし規範を身につけないまま大人になっているんだとしたら、窃盗少年たちがずるずると犯行を繰り返し、この数年後に20代の山ができるはずです。ところがそうなっていないんですよ。万引き少年がたくさんいた世代が、大人になって、大量に事務所荒らしになっていく、といったことにはなっていない。

 「では、凶悪犯罪はどうなのか?」という疑問が出ますよね。次のページの図2は戦後の殺人(未遂含む)検挙者数()の推移を年齢層別の人口比で表したものです。

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著者プロフィール

斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。フリーの編集者・ライター。「papyrus」「R25」などで書評を執筆。共著に『使える新書』(WAVE出版)、『ベストセラービジネス書のトリセツ』(技術評論社)など。「文化系トークラジオLife」(TBSラジオ)にサブパーソナリティーとして出演中。

広田照幸(ひろた・てるゆき)

広田 照幸

1959年、広島県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、2006年10月より日本大学文理学部教授。教育社会学、社会史専攻。実証にもとづいた切れ味鋭い議論が持ち味。著書に『日本人のしつけは衰退したか』(講談社現代新書)、『教育に何ができないか』(春秋社)、『教育 思考のフロンティア』(岩波書店)、『教育不信と教育依存の時代』(紀伊国屋書店)、『《愛国心》のゆくえ』(世織書房)など多数。

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