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第14回 化け物はすでにいなかった

博物学や自然科学が興隆し、近代性を持った目で描かれた作品

  • 内田 千鶴子

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2007年10月25日(木)

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 1831(天保2)年から翌32(天保3)年にかけて、版元・西村永寿堂から刊行された北斎の大判錦絵『冨嶽三十六景』の大成功に、江戸の版元が次々と新しい企画を持ち込んできた。

 永寿堂と並ぶ老舗の版元・仙鶴堂(鶴屋喜右衛門)が、戯作者の柳亭種彦を介して、北斎に化け物を題材にした作品の制作を要請してきた。

 鶴屋は、1828(文政11)年、種彦を文章に、役者絵界の大立者・歌川国貞を挿画に起用して、平安時代の古典『源氏物語』を題材に取り、今様に分かりやすく書き直させた合巻本(ごうかんぼん)『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』初編上下4冊を刊行。故実に精通した種彦の巧みなストーリー展開と、国貞の艶麗な挿画がうまく合致し、大ヒットとなった。注文された風景画を手がけるだけで、手いっぱいだった北斎が鶴屋の要請に乗ったのは、昔から親しくしていた種彦の紹介を断り切れなかったからだ。

 1807(文化4年)、北斎はまだ勝川春朗を名乗っていた48歳の時、弱冠24歳、幕臣の柳亭種彦と出会った。種彦の読本処女作『近世怪談霜夜星』の挿画を北斎が受け持ったのが縁となり、種彦が1842(天保13)年、『偐紫田舎源氏』が風俗取締令に引っかかり、それを苦に自死するまで、35年にわたる交友関係にあった。種彦は先輩格の北斎の才能を、北斎は古典や浄瑠璃など学識の高い種彦をとそれぞれ、お互いを尊重し合える仲だった。

鳥山石燕の妖怪図鑑『画図百鬼夜行』

 『近世怪談霜夜星』は、江戸の前期、寛文の頃、四谷左門町のお手先組下同心・田宮又衛門の娘のお岩が、嫉妬のために自害し、その怨霊が夫に祟ったという怪談話だった。

 北斎は種彦と組んで怪談話の挿画を手がける以前、1786(天明6)年から翌89(寛政元)年頃、西村永寿堂から大判錦絵『新板浮絵 化物屋舗百物語』を刊行していた。屋敷の中と泉水や木々が生い茂る広大な庭をそれぞれ、透視画風遠近法を用いて描き、化け物が垂らす長い髪の毛を銅版画風の細かい線で描いている。

葛飾北斎 『百物語』より「お岩さん」 天保2年(1831)年頃 東京国立博物館所蔵

葛飾北斎 『百物語』より「お岩さん」 天保2年(1831)年頃 東京国立博物館所蔵 Image:TNM Image Archives

 種々の化け物は、1776(安永5)年から84(天明4)年頃、狩野派から一介の町絵師となった鳥山石燕(とりやま・せきえん)が刊行した妖怪図鑑とも言うべき絵本『画図百鬼夜行』4冊を参考としていて、白い着物、長い髪を垂らした異常に背の高い高女(たかじょ)や、一つ目の火の玉を画面に登場させている。

 『新板浮絵 化物屋舗百物語』の「百物語」とは、明和、安永、天明、寛政、文化文政頃、流行した怪談会(かいだんえ)のことで、人々が寄り集まり、次々と怪談話をする。灯明やろうそくを100本ともして、1つの話が終わると、ふーと消していく。最後の1つを消した途端、辺りが真っ暗になって何かが起こるという趣向があった。

 北斎の『新板浮絵 化物屋舗百物語』は、ちょうど最後の話が終わって、ろうそくが吹き消された時、話に登場した化け物や妖怪たちがどっと現れ、居合わせた人々がこれにびっくりして逃げ惑う場面を描いている。

上田秋成の怪異小説『雨月物語』が発表された背景

 さらに北斎は、1809(文化6)年、楽々庵桃英作、読本『恋夢艋(こいのうきはし)』(墨摺半紙本)の挿画を受け持つが、その中の1ページに、夜八、お丑(うし)が昔殺した座頭の淡都の亡霊に復讐される図柄がある。画面左上部に、オランダ渡りの医学書などを参考に、淡都のどくろがクローズアップで墨摺りを背景にぬっと浮き上がる。歯を数本むき出し、尖った爪で、2人を磁石のように引き寄せている。かたわらの屏風が倒れ、寝ていたお丑の髪が、どくろ姿の指で引っ張られる。屏風に下げたお丑の腰紐が蛇のようにのたうつ。夜八は何も知らず、眠りこけている。

 面白いのは、2人が寝ながら飲んでいた皿やとっくりに目、鼻が付き、ケタケタ笑っている図柄である。この描法は、室町時代に因果応報を説いた絵巻『付喪神絵巻』や伝土佐光信作『百鬼夜行絵巻』に描かれた器物の妖怪を、また江戸時代中期の鳥山石燕が日本古来の伝承と自らの想像を駆使させた『画図百鬼夜行』を引用している。付喪神とは、日常使用している道具が100年を経て化けて生まれ変わったものであり、自然界の山・水・草・木のみならず、皿や道具類すべてに魂が宿るというアニミズムの思想でもある。紀元前5~3世紀に中国から伝来した『山海経(せんがいきょう)』という書物に、その根拠があるとされている。よって百鬼というより、百の神という意味にも取れる。

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