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ゾウムシのオトガイの毛の数を、電子顕微鏡で数えてみる

2007年10月31日(水)

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 私の研究対象であるクチブトゾウムシ類では、口のあたりに生えている毛の数が、分類の上で重要である。昔の学者Marshallはそう考えた。

 なかでもオトガイである。なんだ、それは。

 オトガイとは頤と書く。これは人体解剖学用語でもある。人体では、下顎の先端部分のことである。ここが出ている人を、しばしば見かけるであろう。それが学校の先生だと、以前は「花王石鹸」というあだ名がついた。花王石鹸の広告は、三日月に目鼻があったからである。ふつうは「顎がしゃくれている」という。

 オトガイが突き出すのは、人類の特徴である。類人猿の横顔を描くのは簡単である。鼻を低くして、オトガイが「ない」ように描けばいい。「花王石鹸」と呼ばれた先生は、人類学的にはきわめて進化的な顔をしていたのである。

 人類で下あごの先端が突き出して、オトガイが生じるのはなぜか。歯槽骨が退化したからである。つまり歯を載せている部分の骨が小さくなったのに、下顎骨自体は、それに伴って退化することをしない。だからその下顎骨それ自体が、一見突き出してしまう。それがオトガイである。ラテン語でメンタムmentum という。メンソレータムではない。

 昔の偉い学者が、ゾウムシの口に、オトガイという名をたぶん流用したのである。それがだれか、私は調べる気はない。調べたら、きっとわかるはずである。

 ゾウムシでは、オトガイは大顎の下というか、後ろにある。この「下」か「後」かというのも、解剖学ではやかましい問題になった。おわかりだろうか。ヒトは直立する。そうすると、動物の前後が、ヒトでは上下になる。ヒトの前後は、動物の腹背になる。前とか後とかいうと、解剖学では、ゆえに厄介なことになるのである。

 私がうっかり「下」と書いたのは、人体解剖学の背景があるからである。動物との整合性をとるなら、頭方、尾方と表現しなければならない。「ゾウムシのオトガイは、大顎の尾方にある。」これがまあ、正確ないい方であろう。

 大顎と書いたが、この学術名は mandibula、英名では mandible である。これはヒトでは下顎のことである。だから上の記述を英語で書くと、「ゾウムシのオトガイは、下顎の尾方にある」という訳になる(気がつく人がいるかもしれないから、注記すると、頭だけは、動物も「直立」している。だから頭にある構造の上下は、ヒトと同じで、前後ではなく、上下なのである。首もかなり「直立」している。キリンを想像すればおわかりであろう。でもトカゲやカエルの首は直立とはいえないであろう)。

 じゃあ、上顎はどうなる。

 これはヒトでは maxilla 、すなわち上顎骨である。虫でもこのマキシラという用語は使う。虫の顎を、ヒトの顎に見立てているからである。ラテン語の学術用語、あるいはそれを訳した英語で、昆虫の顎に「下顎」mandible という用語がなぜ当てられたかというと、動く顎だからであろう。上顎は動かないが、下顎は動くからである(脊椎動物で、上顎が動く例外がある。それは一部の鳥と爬虫類である。こういうのは余計な知識で、そういうことまで覚えるから、その分、大切なことが抜けてしまう。私がいい例である)。

 日本で虫の用語を作ったときに、下顎では変だと思ったから、「大顎」にしたのだと思う。クワガタを考えたら、わかるであろう。あれはどうみても「大」顎である。大顎は英語にもラテン語にもない。なぜなら、西欧には「顎」に相当する一般名(概念)がないのである。上顎、下顎が、それぞれ単一の別名である。

 だから当然「大きい」「顎」なんてない。大きい上顎、小さい下顎、小さい上顎、大きい下顎しか、用語として作れない。これって、厄介でしょ。そもそも虫の顎は、水平面を動く。ヒトの顎は鉛直面である。その両方を含む「顎」概念が西欧語にないのが問題なのである。おかげで用語が厄介になった。動くほうの顎だといっても、虫ではそれが二つある。脊椎動物では一つしかない。やっぱり顎概念が必要なのである。

 というわけで、少なくとも顎に関しては、日本語の用語のほうが豊かで、合理性が高い。日本語は不合理だといわれることが多いから、小さい肩を持っておく。

 もちろんゾウムシのオトガイは、ヒトのオトガイと、縁もゆかりもない。単に顎の尾方にある、平面的な構造を指す、というだけのことである。

 ここでも「平面的」というのは、いささかまずい。構造だから三次元に決まっている。でもオトガイは、表面から見える構造を意味している。顎の先だからである。ゾウムシのオトガイも、解剖しなくても見える平面である。これを周囲から分けて、つまり解剖して取り出すことはできるであろう。でも分類では、とりあえずそういうことはしない。虫を壊さないで見ようとするからである。私がすぐに壊したがるのは、前世で解剖をやっていたからである。済みません。

 あーあ、疲れた。

 モノとくに動物の構造を記述するとは、かくも面倒な作業である。どう書いたら正確な記述になるか。しかもゾウムシだけ記述できればいい、では済まない。分類学の用語、解剖学の用語の統一性が、完全ではないにしても要求される。専門家の書くことが、わかりにくい理由がおわかりになるであろう。

コメント1件コメント/レビュー

コレヲ愉シムニ如カズ ・・久々にまたヒゲの話が出て特に大顎の話は面白かった。顎という概念の有無。 ところで、仙石高原の銀の波間を歩いて気持ちよかった!養老さん、どうぞいつまでもお元気でいらっっしゃってください。(2007/11/10)

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「ゾウムシのオトガイの毛の数を、電子顕微鏡で数えてみる」の著者

養老 孟司

養老 孟司(ようろう・たけし)

東京大学名誉教授

解剖学者/作家/昆虫研究家。1937年生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。95年東京大学医学部教授を退官し、その後北里大学教授に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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コレヲ愉シムニ如カズ ・・久々にまたヒゲの話が出て特に大顎の話は面白かった。顎という概念の有無。 ところで、仙石高原の銀の波間を歩いて気持ちよかった!養老さん、どうぞいつまでもお元気でいらっっしゃってください。(2007/11/10)

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三品 和広 神戸大学教授