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【第15回】 パリでの録音は貴重な体験

プロデューサーとしての仕事の本質は何かを学ぶ

  • 諸石 幸生

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2007年11月9日(金)

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 クラシックの売り物がなくなった日本コロムビア(現・コロムビアミュージックエンタテインメント)は、やむなく自らの手でアルバムを作らざるを得ない状況となった。だが、ヨーロッパでの録音経験のない川口氏らにとって、見ること、なすことすべてが勉強であったし、それはレコード・プロデューサーの仕事の意味と役割を知る旅の始まりでもあった。1974年末からパリを中心とするヨーロッパでの新しい人生経験を語ってもらうことにした。


―― 海外の著名なアーティストとの録音が国内で過去になかったわけではありませんね?

ゼロからスタートした海外録音、レコード制作の苦労談について回想する音楽プロデューサーの川口義晴さん

ゼロからスタートした海外録音、レコード制作の苦労談について回想する音楽プロデューサーの川口義晴さん (撮影:清水健)

川口: 一度だけスメタナ四重奏団が来日した時に作っています。僕がコロムビアに入社する前です。1972年かな。結城亨さんのプロデュースで、PCM(パルス符号変調)録音第1弾でした。あれはものすごく売れたんですよ。ですから、これからはこういうことをやってビジネスにしていくんだぞ!という機運はあったのだと思います。青山タワーホールという、どうしようもないホールでの録音でしたが。

―― 何かキンキンした音の印象がありましたが。

 でしょう。しかも林正夫というエンジニアが低い音が嫌いときていました。さらにマイクロフォンは「ゼンハイザー」でしたが、これもまた、結構、上がハネた音でしたからね。

―― でも評判になりました。

 PCM録音という付加価値があったおかげでしょうね。それにスメタナ四重奏団が今まで録音してないレパートリー、モーツァルトの弦楽四重奏曲の第17番『狩』と第15番、それもよかったんでしょうね。でも、いずれにしても僕は知らない話です。

 コロムビアに入社してからしばらく、僕は先輩たちの録音をできるだけ見せてもらっていました。エラート(フランスのレーベル)のレーベル・マネジメントをやりながら。僕としてはプロデューサーとしての仕事が何なのか、まださっぱり分からなかった。先輩たちの仕事ぶりを見ていても、何を録ろうとしているのか、なぜここを録り直すのか、どこがどう悪いのか、といった判断の基準、そういったものが何も見えなかったしね。

―― それでは演奏家もやりにくいでしょうね。

 最悪だったでしょう。どこを直すのか、なぜ直さなくてはならないのか、その根拠を明らかにしないんてすから。要するにレコーディングに方向性とか基準とかがなかったんです、その頃までは。ですから、パリに入ってミシェル・ガルサンと仕事して、本当のレコーディングを学んだと思います。今から思えばガルサンの仕事もずいぶん乱暴な録り方だったとは思いますが。

―― 教会の中での録音というのは。

 それも経験していませんでしたね。だってその当時の日本では、いいホールというのが東京文化会館の小ホールぐらいでしたから。あそこは今でもいいホールですが、当時はスケジュールがいっぱいで録音には使えなかった。だからパリのノートルダム・デュ・リバン教会での体験は貴重でした。

―― ヨーロッパに留学した日本の若い演奏家が現地の先生に指摘されることの1つが、楽器から音を出してはダメで、部屋全体を音で包みこまなくちゃいけないと言ったことだそうですが。

 それは、今でもそうですね。ヴァイオリンにしてもピアノにしても、自分が聴いてきれいに聴こえるように弾いたんじゃダメで、音は必ず客席側に届いて聴こえるように響かせなきゃならない。その飛んでいく音を作るっていうことが、いまだにできていない人が多いんじゃないかな。どうしても目の前の音に気を取られてしまう。だからピアノもヤマハ使うんですよ。弾いている自分にはいい音に聴こえます。圧倒的にきれいです。でも客席できいていると違ってくる。ヤマハを好きなピアニストはいますよ。自分が気持ちよくなれますからね。それに体力のない人なんかでもタッチをコントロールしやすい。でも僕なんかヤマハは使わせなかった。楽なんですけどね、海外でヤマハを使うと。ただで貸してくれるし、調律師もつけてくれるし。

―― 行って学べたことは本当に多かったわけですね?

 あの当時、今の日本のような恵まれたホール環境があれば我々は海外に行かなくてよかったのかもしれない。でも行かなきゃ経験できなかったことが数多かったことは事実ですからね。

―― こうして始まったヨーロッパでの録音は、エラートとの共同制作だったんですか、形としては。

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夢の実現にあたっては強く「念ずる」。そうした心構えを支えにビジネスの世界の荒波を渡ってきました。

後藤 忠治 セントラルスポーツ会長