【特命助手サイトーの前説】
以前、助手サイトーは『学生による教育再生会議』(平凡社新書)という本を書評したことがあります。大学生が教育再生会議による改革案を検証した本書のなかで、とくに印象的だったのは、ゆとり教育世代の彼らが、「主体性」「思考力」「表現力」「問題解決能力」といった「新学力」のコンセプトを積極的に肯定していることでした。
現行の学習指導要領から始まった「総合的学習の時間」は、まさに「新学力」をコンセプトにしたカリキュラムでしたが、現場の教員にはすこぶる評判が悪い。それはなぜなのか?「総合的学習の時間」を有効に生かすには、学校現場にどんな改善が必要なのか?
新しい学習指導要領案や総合的学習の時間について、みなさまからのご意見をお待ちしております。
ものを知らずして「創造力」や「独創性」が単独であるわけではない。知識を組み合わせるような学力には、そのためのストックが必要だ、ということを前回お話しました。その傍証となるようなデータを紹介します。
下の図は、ベネッセが2003年に東京都内の二つの小学校で実施した適性検査の成績と、学校の成績との相関を表したものです。この適性検査は、もともと岡山県の中学校で実施されたもので、応用力・思考力・表現力を問うタイプのテストです。
出典元:ベネッセ教育研究会開発センター『ベネッセ発親子で伸ばす「本物の学力」』日経BP社、2006年、124ページ
この図から読み取れることはどんなことでしょうか? ベネッセは、著書のなかで「学校の成績がいい子どもが、この検査でもいい得点が取れるとは限らない」(グループ2、3)が、同時に「普段の勉強について一定の基礎が身についていないと十分な解答ができない」(グループ4)と読み解いています。
基礎知識があるからといって、すぐに応用力に結びつくわけではない。しかし、グループ1に大きな固まりがみられるように、学校の成績(旧来型の学力)と応用力の間には、一定の相関があることもまた確かです。
先日報道された、全国学力テストの結果でも、都道府県別の結果を見る限り、知識中心のA問題で得点が高い県は、応用力を測ったB問題でもおおむね高い傾向がみられます。
そういう点で見ると、「ゆとり教育」のカリキュラム削減やスリム化は、得策ではありませんでした。「学習指導要領や教科書は、上限を定めたものではなく、できる子はどんどん深いところまでやっていってよい」といった説明もなされましたが、学習指導要領や教科書を中心にしてやってきたこれまでの多くの先生方が、どういうふうに教科書と授業との対応づけを組み立て直して、できる子だけでなく全体の底上げをしていけばよいのかについて混乱した、というのもまた事実でした。
私としては、特に、「学力の低下」よりも、「学力の格差」──低学力層の学力の底が抜けていくような事態──が気になります(広田「学力の格差をどう考えるか」『大阪保険医雑誌』第471号、2006年)。
「総合的な学習の時間」はなぜ現場で不人気なのか?
誤解しないでほしいのですが、「だから詰め込み教育に徹しろ」と言いたいわけではありません。以下、二つのことを言います。
一つには、総合的な学習の時間(以下、「総合学習」)で学ぶような、知識を組み合わせるような学力は重要だと私も思います。大学教育で教える側が苦労することの一つは、学生たちが大学入学以前に、多様な知識を組み合わせるような経験があまりにも乏しい点です。日本のこれまでの教育の弱点だといえます。
フィンランドの教育とか、イギリスのシチズンシップ教育など、日本の教育が海外から学ぶべきものの一つはそれだと思います。「ゆとり教育見直し」の流れが強まっている中で、その点はきちんといままで以上に重視されていくべきでしょう。いろんな知識を組み合わせて、問いを立て、答え方をさがし、答えの複雑さを経験していく、という意味で、総合学習の意義は大きいと思います。
しかし、総合学習は現場の先生に不人気でした。なぜでしょうか。
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