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第16回 情報の集まる東京、文化庁へ転勤

ニューヨーク、ロンドン、クリーブランドへと立て続けに出張

  • 宮島 新一

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2007年11月22日(木)

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 1979(昭和54)年の夏には、生まれたばかりの末娘を抱えて東京に転勤している。京都国立博物館には2年と3カ月しかいなかったことになる。新たな勤務先は文化庁の美術工芸課。高松塚問題の渦中にある美術学芸課の前身である。文化庁の大先輩で京都国立博物館長も勤められた松下隆章氏に転任の挨拶をしたら、「もったいない」と言われた。聞き間違いかと思った。「博物館にいたほうがよかったのに」という意味に取れたからである。だが、私以外の誰もがそう思ったようだ。現に、博物館を去る際にも同じようなことをさんざん言われた。東京行きを決めた理由にはきわめて俗なものもあったが、それだけは恥ずかしくて口に出せない。ここでは表向きだけにとどめておこう。

当時はまだ東京の新しい情報が入らなかったのが転勤の理由

 美術史研究における京都の凋落傾向を見て、東京の空気に直接ふれてみる必要がある、と思ったのが最大の理由である。次いでは、京都府でしてきたことが全国規模でできるという期待があった。3つ目は、このままでは近世絵画の専門家になってしまう、という怖れからであった。

 京都府の職員だったころ、文化庁のある調査官が大量の作品を短時間のうちに徹底的に調査するのを見て、これでは差がつくはずだと思った。どんな作品が出てきても対応ができる、まさに鑑定のエキスパートだった。こんな凄(すご)い人に出会ったことがなかった。その後においてもない。その人の名は、真保亨氏と言う。後に筑波大学教授になられている。その人に誘われたから一も二もなく転勤を承諾したのだと思う。他の人や、他の職場だったらどうだっただろうか。

 関東の研究者と関西のそれとの論文を読みくらべると、体質の差は歴然としている。「出身だから」と言われるのを承知であえて言うならば、日本画の好みと同じで、京都大学の大先輩たちのふくよかな学風が私の肌には合っている。それにもかかわらず東京に出ようと思ったのは、当時はまだ情報の流通が今日ほど活発でなく、友人でもいない限りは東京の新しい情報が手に入らなかったからである。

欧米出張で「世界における日本美術の位置」を考える

 東京ではいくつかの研究会に入れてもらった。しかし、そのうちにどうも大勢集まることが自分の体質には向かないことが分かってきて次第に足が遠のくようになった。結局、関西にいるのと同じことになってしまった。功利的な考えは必ず失敗となって終わる。東京に移って、関西でのキャリアがまったくの白紙となり、一から出直すことになることまでは考えが及ばなかった。立ち直るには4~5年かかった。

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