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第16回 江戸参府したシーボルトの狙いは何か

絵図や地図をはじめ、木版画などの美術品を精力的に収集する

  • 内田 千鶴子

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2007年11月27日(火)

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 1823(文政6)年8月、ドイツ人のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダ商館付医官として、オランダ国王ウィレム1世の命を受けて、蘭領インドのバタビア(現在のインドネシア・ジャカルタ)経由で長崎出島に入港した。

 この時、シーボルトは27歳で、東洋研究の野望に燃えた血気盛んな青年だった。

東京・東上野の源空寺の墓地にある高橋景保の墓

東京・東上野の源空寺の墓地にある高橋景保の墓(撮影:長坂邦宏、以下同)

 ドイツの医学界の名門に生まれたシーボルトは医学のほか、動植物学・地理学・民族学など多方面に精通していた。長崎赴任から1年後、長崎奉行・高橋越前守重賢(しげかた)の理解を得て、長崎の郊外、鳴滝に西洋医学診療所兼学塾を開き、全国から馳せ参じた好学に燃える若者の指導にあたった。3年後の1826(文政9)年の1月9日(旧暦)、シーボルトはオランダ商館長ヨハン・ウィルヘルム・ド・ステュルレル(1776‐1855)と助手ビュルガーと共に恒例の江戸参府に長崎出島を出立した。

 江戸参府とは、オランダ商館の一行が将軍への献上品を持って、江戸城に入り、将軍を表敬訪問するもので、1609(慶長14)年に始められ、1633(寛永10)年から毎年行われる行事となったが、1790(寛政2)年以降は4年に1度に改められた。シーボルトが江戸参府をした時の記録が、『江戸参府紀行』として、現在オランダ・ライデンにあるオランダ国立民族学博物館所蔵のシーボルト著『日本』(1832年=天保3年刊)の第1分冊に残されている。

日本国内の情報を収集するため人脈を広げる

 『江戸参府紀行』には、1826(文政9年)2月5日、シーボルト一行が長崎出島を出発、7月7日に長崎へ戻るまでの半年間の出来事を事細かく記されている。シーボルトは江戸参府を行った期間に、将軍御典医・桂川甫賢、植物学や化学に詳しい宇田川榕庵、蘭学大名・元薩摩藩主島津重豪(しげひで)、その息子で中津藩に養子に入った奥平昌高、長崎奉行・高橋越前守の紹介による蝦夷探検家・最上徳内、天文方兼書物奉行・高橋作左衛門景保(かげやす)らの人物と出会い、地図・動植物・美術・民俗的道具や、日本国内の情報を収集するための人脈を広げていった。

 シーボルトは、いまだ未知である北方樺太辺りの動向や日本の将軍や幕閣のいる江戸城内部、防備に必要な武器・武具などの情報を入手し、実情を調査する必要からそれを調達できる人物に的を絞って近づいてゆく。

 長崎奉行・高橋越前守の紹介で最上徳内の知遇を得、樺太とアジア大陸の間に海峡が存在すること、その海峡の発見者は徳内の部下の間宮林蔵であることなどを知らされたのである。なんとしても、千島樺太の地図を手に入れたいとシーボルトは思った。

高橋景保の墓から少し離れたところに並ぶ伊能忠敬(右)とその師匠、高橋至時(左端)の墓

高橋景保の墓から少し離れたところに並ぶ伊能忠敬(右)とその師匠、高橋至時(左端)の墓

 江戸天文方兼書物奉行だった高橋作左衛門景保も、長崎奉行より紹介を受け、たびたび手紙をやり取りする仲だった。景保はオランダ人から海外の情報を入手する役割を担っていたからシーボルトと会うことは仕事上の役割でもあった。2人の感激の対面の後、シーボルトは江戸城にある紅葉山文庫(将軍のコレクションを保管)を見せてもらいたいと要求した。景保は渋ったが、考えあぐねた末、5月1日、当番の役人がいないところを見計らって、シーボルトを文庫に案内した。そこには「江戸御城内御住居之図」(ライデン大学図書館蔵)、「江戸御見附略図」「武器・武具図帖」(オランダ国立民族学博物館蔵)があった。シーボルトはそれらの写しを要求し、さらに伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」より琉球から樺太まで入っている地図も懇望した。代わりに、シーボルトは高橋作左衛門が欲しがっていたロシア探検家クルーゼンシュテルンの『世界周航記』をはじめ、「蘭領印度の地図」、『オランダ地理書』を手渡すという条件も取り付けた。

 5月18日、長崎へ戻るシーボルトに、見送りに来た最上徳内が、間宮林蔵によって描かれた樺太計測地図「黒龍江中之洲并天度(こくりゅうこうなかのすならびにてんど)」の写し(ライデン大学図書館蔵)を手渡した。この地図はシーボルト著『日本』に掲載されている。

 日本国の中枢を知り、秘密にされていた絵図・地図類をシーボルトは次々と手に入れていった。

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