「ロッシーニの料理」

第8回 ナポリ時代に考案したナス・オムレツ

9つの歌劇を作るも、《セビリャの理髪師》などの初演は大失敗

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2007年11月29日(木)

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前回から続く)

3) ナポリ時代――サン・カルロ劇場の音楽監督兼作曲家

 フランスによるイタリア支配の終焉で王政復古が確定した1815年の春、ロッシーニはナポリ王立劇場の興行師ドメニコ・バルバイア(Domenico Barbaja、1778‐1841)の求めに応じ、活動の場をナポリに移すことにした。バルバイアは風変わりな人物だった。レストランの皿洗いから身を立て、ミラノでカフェのボーイをしていた1800年頃、ホイップ・クリームをコーヒーやチョコレートに混ぜる方法を考案。これで得た資産を元手にスカラ座に賭博場を開き、莫大な富を築いたのだ。そしてナポリ王の信頼を得るとサン・カルロ劇場にも賭博場を開き、私設銀行を運営し、興行師としても優れた手腕を発揮した。

ナポリのサン・カルロ劇場 ( 1816年に焼失する前の姿。G.Radiciotti: Gioacchino Rossini I.,Tivoli.,1927.より)

ナポリのサン・カルロ劇場 ( 1816年に焼失する前の姿。G.Radiciotti: Gioacchino Rossini I.,Tivoli.,1927.より)

 ナポリでサン・カルロ劇場の音楽監督兼作曲家となったロッシーニは、プリマ・ドンナにイザベッラ・コルブラン(Isabella Colbran、1784〜1845)を得た。「女王然とした威厳、情熱的な眼、美しい漆黒の髪と悲劇的天分」(スタンダール『ロッシーニ伝』)をそなえたコルブランはドラマティック・ソプラノの先駆者で、力強く華麗な歌唱により人気を博していた。年1作、オペラ・セリアを求められたロッシーニは、コルブランをヒロインに《イギリス女王エリザベッタ》《オテッロ》《湖の女[湖上の美人]》《アルミーダ》《マオメット2世》など9作の歌劇を発表し、円熟期を迎える。

ナポリの食文化とロッシーニのナス・オムレツ

ナポリ時代のロッシーニ (リトグラフに彩色。19世紀。水谷彰良所蔵)

ナポリ時代のロッシーニ (リトグラフに彩色。19世紀。水谷彰良所蔵)

 国家統一前のイタリアでは、地方ごとに独自の文化が花開いていた。とりわけユニークなのが紀元前のギリシャ植民都市に起源をもつナポリで、ローマ帝国、ビザンチン帝国、ノルマン人の支配を経て、12世紀以降も神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン家、フランスのアンジュー家、スペインのアラゴン家など外国支配が続いた結果、ローマ以北と異なる文化が形成され、言語も独自のナポリ語が使われていた。

 そうした独自性は食にも及び、ナポリではトマトやオリーブがいち早く食材とされ、19世紀にはスパゲッティやマカロニが主食になっていた。

 ロッシーニがナポリを拠点にしたのは1815年から22年までの8年間。その間に彼が考案したとされる料理が、ナスを卵で巻き、チーズとトマトソースをかけて焼くオムレツである。作り方を紹介しておこう。

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著者プロフィール

水谷 彰良(みずたに・あきら)

水谷 彰良

1957年東京生まれ。日本ロッシーニ協会事務局長・副会長。フェリス女学院大学オープンカレッジ講師。朝日カルチャーセンター(新宿)講師。国立音楽大学・同大学院非常勤講師。著書:『プリマ・ドンナの歴史』(全2巻、東京書籍)、『ロッシーニと料理』(透土社、絶版)、『消えたオペラ譜』、『サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長』(第27回マルコ・ポーロ賞受賞)、『イタリア・オペラ史』(以上、音楽之友社)。



このコラムについて

ロッシーニの料理

グルメブームを堪能する日本人。だが、イタリア生まれの作曲家ロッシーニの美食ぶりは半端ではなく、37歳で作曲をやめてしまい、グルメ三昧の後半生を送ったとされる。このコラムでは美食作曲家ロッシーニの生涯と作品、創作料理の秘密を紹介すると同時に紹介していく。

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