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迷いや嘘があると、聴衆はすぐに見破ります

自分の個性を磨いていくには、大変な時間と忍耐と努力が必要

2007年11月30日(金)

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 「フィンランドを代表する名バリトン」と称されるヨルマ・ヒュンニネンが11月、久々の来日を果たした。今年はフィンランド出身の作曲家シベリウスの没後50年にあたるメモリアル・イヤー。それを記念し、長年フィンランドを拠点に国際的な活躍を続けているピアニストであり、日本シベリウス協会会長を務める舘野泉が、「シベリウスの遺したもの」と題したヒュンニネンのリサイタルをプロデュース。ヒュンニネンは札幌と東京で、豊かに響く低音とオペラティックな表現力をたっぷりと披露した。

歌詞を聴衆の1人ひとりに語りかけるように歌う

 今回のリサイタルは、「フィンランドの心を歌う」というタイトルのもと、ジャン・シベリウス(1865‐1957)の歌曲の前に、彼とほぼ同時代に活躍したトイヴォ・クーラ(1883‐1918)とオスカル・メリカント(1868‐1924)という、フィンランドを代表する2人の作曲家の歌曲をプログラミングしたもの。クーラは南オストロボスニアの民俗音楽の要素にインスパイアされ、力強くほの暗く悲劇的な曲想を持つ作品を多く書いた作曲家。特有の和音に彩られた歌曲は、ドビュッシーの影響が色濃く映し出されていると言われ、歌詞は秋の夜や教会の墓地、離れて行く友などを歌ったものが多い。

低く響く声で表情豊かに語るヨルマ・ヒュンニネンさん(撮影:小川玲子、以下同)

 それらをヒュンニネンは各々の言葉を聴き手に訴えかけるように丁寧に歌い上げ、「1人の夜は耐えられない」と訴える歌詞では、ステージから身を乗り出して悲痛な叫びのように声を絞り出した。

 一方、メリカントはのびやかで美しい旋律が特徴の、多分にオペラティックな作品を多く書いた。その歌曲はある時は民謡のような親しみやすい雰囲気を醸し出し、またある時はメランコリックであり、またノスタルジックな表情も見せる。

 メリカントの歌曲は、ヒュンニネンが大得意とする作品。自由で開放的な歌声を駆使し、長年歌い込んできた熟成された表現力と音楽性を披露し、聴衆をロマンあふれる美しいメロディアスな音の世界へといざなった。

 そしてシベリウスでは、ピアノを担当したイルマリ・ライッコネンと雄弁な音の対話を繰り広げ、交響曲作曲家として知られるシベリウスとは異なる、親密的な歌曲を100曲以上も書いた作曲家の側面を知らしめた。

 いずれも体全体から湧き出てくるような朗々とした歌声に満ち、歌詞を聴衆の1人ひとりに語りかけるヒュンニネン特有の歌唱法で、聴き手に深い感動を呼び起こした。その感動は何日経過しても胸の奥に強い印象となって残り、消え去ることがない。これが鍛え抜かれた歌唱、長年の努力の賜物、本物の歌声の示す底力なのだろう。

納得のいく仕事をするには、時間がかかるものです

 「私はオペラ歌手と思われているようですが、実は歌曲を長年歌い続けています。歌手としてのキャリアも、歌曲からスタートしたんですよ。最初は7年間ほど、フィンランドの国立歌劇場でオペラを歌っていましたが、同時期に歌曲も数多く歌っていました。歌曲は詩が大切。まず、詩を理解してから、作曲家がその詩にいかなる思いで曲をつけたかを考え、その思いに近づいていくよう練習を積んでいきます。練習の段階で、私自身の経験、考え、性格的なものもプラスし、各曲に個性を盛り込んでいくようにします。そして作曲家の思いが存分に理解でき、自分の歌に納得できた時点で、次はそれを聴き手にいかに伝えていくかを考えます。私がこんなにも深く作品を理解し、感動し、それを思いっきり歌うのだから、ぜひ皆さんも同じ気持ちになってくださいと、心からの気持ちを伝えるようにします。そこには真実が存在しなければなりません。私に少しでも迷いや嘘があると、聴衆はすぐに見破ってしまいますから。まっすぐに心の歌を届けるわけです」

 こう語るヒュンニネンは、怖いほど誠実で一途な目をしている。ステージでの真摯な歌声のように、語りもまたストレートだ。

 ヨルマ・ヒュンニネンは1969年にラッペーンランタ声楽コンクールで優勝してから、本格的な歌手としてスタートを切った。ただし、最初から声楽家を目指して音楽大学で学んでいたわけではなく、コンクールを受ける前は、11歳から14歳の義務教育を受ける生徒たちの教師として、音楽を含む全科目を教えていたという。しかし、音楽が好きでたまらず、教師の仕事をしながら音楽アカデミーのセミナーで音楽の勉強を続け、その学校の先生に声を見出された。この先生がヒュンニネンに特別レッスンを施してくれ、それがコンクールでの優勝へとつながった。

 「ですから、ある日突然、歌手としての道が開けたという感じだったのです。コンクール後は、一気にウィーン国立歌劇場、ウィーン・フォルクスオーパー、ミラノ・スカラ座のほか、パリ、ミュンヘン、ハンブルクなど各地のオペラハウスから声がかかるようになり、休む間もなく駆け回る生活になりました。オペラは指揮者、演出家、オーケストラ、合唱団、バレエからあらゆるキャスト、スタッフによる共同作業です。最初は戸惑いましたよ。なんだか、自分がものすごく巨大な機械の1つの部品になったような気分でした(笑)。まだ若かったし、自己主張したり、自由に歌ったりすることはできません。言われる通りに歌い、演じ、次々に役をこなしていかなくてはならない。でも、これこそが経験なんです。多くの人との共同作業の中で、いかに自分を見いだすか、自分の個性を磨き、自分の歌いたいスタイルをアピールしていくか。それには大変な時間と忍耐と努力が必要となります。でも、少しずつ力を付けていって、いい歌を歌って結果を出せば、次はより良い役が回ってくる。なんでもそうでしょうが、一朝一夕にはいかない。納得のいく仕事をするには、かなりの時間がかかるものです」

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