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【第16回】 気が滅入った冬のパリの暗さ

アグレッシブな対人関係にカルチャーショックを受ける

  • 諸石 幸生

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2007年11月30日(金)

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 パリでの録音が始まったと言うのはやさしいが、前回までの話でも分かるようにそれは大変な苦労の連続だった。エラートとの微妙な関係、アーティストに関する情報網のなさ、それに心にのしかかる冬のパリの暗さなど、想像以上に悪戦苦闘する毎日だったようである。そうした悪条件の中でも歴史的名盤が作り出されてきた事実には頭が下がるが、今回は舞台裏も含めて少し周辺の話題が続く。


大壮行会という雰囲気の羽田空港からパリへ

―― パリ出張ということになるわけですが、期待も大きければ緊張感もあったでしょうね。

心に重くのしかかってきた「冬のパリの暗さ、そしてパリにいることの辛さ」を回想する川口義晴さん

心に重くのしかかってきた「冬のパリの暗さ、そしてパリにいることの辛さ」を回想する川口義晴さん(撮影:清水健)

川口:ええ、今では考えられないかもしれませんが、出発の日、羽田空港には会社の同僚をはじめ家族など大勢が見送りに来て、大壮行会といった雰囲気でした。それ以前にも宴会場みたいなところを借りてパーティーもやりましたしね。そういう時代、例えば海外に持ち出す外貨だって日銀の許可がいるというような時代だったんです。出張するのは、たった4人だったのにね。

―― じゃ羽田では万歳して送り出すような。

 ほとんどそれに近いですね。でもパリに着いてからが辛かったです。一種のカルチャー・ショックですね。今みたいな時代じゃないですからね。まず何が強烈だったかと言うと、シャルル・ド・ゴール空港からバスで移動したんですね。朝の早い時間でしたが、冬ですから明るくなるのが遅いでしょう。8時頃かな、もう少し早かったかもしれない。でもまだ暗かった。そんなバスの中から外を見ていたら、場所はどこか分かりませんが、サルトルがボーヴォワールに手を引かれて信号を渡ろうしてたんです。いきなりですよ。初めてのパリで、いきなりサルトルですからね。いやーすげえところに来たなって感じでしたね。

―― 偶然?

 偶然も偶然ですよ。いやあショックでした。サルトルと言えば1960年代は日本でも思想界の英雄でしょう。僕は全くサルトリアンでも何でもなかったけれど、68年からの学生運動に与えた影響はすごかった。僕はすでにレヴィ=ストロースなんかも読んでいたから(『野生の思考』のなかで徹底的にサルトルの実存主義を批判している)、とっくにサルトルは卒業していたつもりでいましたけれど(話はそれますが、今でも芸術分野ではそういう全共闘運動の洗礼をうけ、いまだにそれを引きずっている人がいくらもいる。迷惑なんですよね、大抵の場合。実存主義っていうのは矮小化された意志の哲学だから、簡単にナルシシズムに陥ってしまう)。でも興奮はそれで終わり。着いてからは、メシが違うので、食べ物がのどを通らない。その頃、僕はベジタリアンでしたから、肉は食べたくもなかったので、気持ちが悪くなった。それにヨーロッパ人って常にアグレッシブでしょう。あれが耐えられなかった。本当に辛かった。

―― アグレッシブというのは、キャリア志向というのか無駄に時間は過ごさないような生き方?

 要するにね、対人関係がアグレッシブなんですよ。他人に対して何かを要求することから始まるところがある。まあ親切ではありますよ、ただ親切の質が異なるし、もう全部イヤになった。

―― でもフランス語の方は大丈夫でしたよね。

 いやその頃はまだまだでした。今でもそんなにしゃべれないけど、もっとしゃべれなかった。そんな状況下で落ち込む一方なわけです。朝起きて真っ暗、それでまずガツンとやられる。真夜中に仕事に出て行くようなものですからね。感じ悪くて気が滅入ってくる。暗く感じ始めちゃうとパリって本当に暗いんですよね。冬にいくもんじゃないですよ。

ピアニスト、ピリスの契約書を見てビックリ

―― 青春残酷物語みたいですね。

 しばらくしてピアニストのマリア・ジョアオ・ピリスのところに行ったんです、ポルトガルへ。彼女をエラートが抱え込みにかかっている頃ですね。契約書を見せてもらったけれど、彼女は完全に騙(だま)されていた。「日本コロムビア(現・コロムビアミュージックエンタテインメント)とは録音してもいいという話だったからサインした」と彼女は言っていましたが、契約書のどこにもそんなことは書いてない。つまり専属契約はしないというピリスの主張がいつの間にか無視された内容になっていた。だから、私たちは手が出せなくなっていたんです。これは驚きでした。

 そういうことがあって、パリに戻って録音の仕事をしていたら、エラートのプロデューサー、ミシェル・ガルサンに呼び出されて、「お前、ポルトガルに行ってピリスに会ってきただろう」って怒っているんです。

―― どういうことですか。

 手を出すな、彼女はもう我々のアーティストだということでしたね。しょうがないですよ、アーティストは何も言えませんからね。

―― でも口約束をしていたというのは?

 もうすでに彼女が日本にいる時から、次は何を録音しようかということを約束していたのです。それを紙にしていなかったのはのん気と言うか、うかつな話ですよね。我々は外国人のアーティストとどのように関係を作るかということに無知だったわけです。だから口約束なんて、そんなもん何にもなりません。紙がすべて。契約書がね。絶対ですよ。ガルサンはサインさえさせてしまえば、もうこっちのものと考えたんでしょう。それにあの契約書を見て驚きましたね。こんなに細かいことまでアーティストを拘束するのか、そんな内容でしたから。ああ、彼らはこうややってビジネスをしているのかって思い知らされましたよ。

―― 例えば?

 マネジメントもエラートが指定する音楽事務所、録音はエラート以外では自分たちが指定したレコード会社で、あるいは指定した人間がやるとか、それからエラートがオルガナイズする演奏旅行を義務付けられる、というのもあったなあ。もうぎしぎしでした。それでピリスとは仕事できなくなりましたし、彼女もその後しばらくして腱鞘炎で演奏できなくなりましたけどね。でも、とにかくそういう場面に遭遇してヨーロッパ人の最もヨーロッパ人的な部分を見せられた、そんな思いでした。

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