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第17回 アメリカの美術館運営に学ぶ

印象に残ったのは館長のリーダーシップの強さ、教育担当学芸員、業務分担の徹底

  • 宮島 新一

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2007年12月6日(木)

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 1958年に「日本美術におけるリアリズム展」を持って行ったアメリカのクリーブランドは、当時もっとも魅力のない都市と言われていた(8年後に行った時にはすでに再開発されて見違えるようになっていた)。しかし、かつて繁栄を遂げていた時期の2つの遺産はまだまだ健在だった。クリーブランド管弦楽団と美術館である。オーケストラの方は正指揮者が定まらないような状況で凋落気味だったが、美術館の方はシャーマン・リーという名館長の指揮の下に選び抜かれたコレクションには定評があり、全米屈指の美術館としての名声を誇っていた。特に作品購入資金は全米一、二という豊富さで、大衆路線をとるニューヨークのメトロポリタン美術館と拮抗する存在であった。街自体は寂れた憂うつな印象を拭えなかったが、長期の滞在によってアメリカの美術館運営を細部にわたって見聞できたことは、のちに博物館の運営に携わるようになった時に大いに役立った。

「デフィニットリー、 ノー」と断る館長の強力なリーダーシップ

 印象に残ったいくつかを挙げておこう。まず、館長のリーダーシップの強さ。コレクションと展覧会は美術館の顔だが、その内容に館長が責任を負う。アメリカは基金を寄付する大金持ちが理事会を形成するのが普通だが、レセプションの席で最も有力な女性からの招待を館長が「デフィニットリー、 ノー(絶対にだめ)」と断っていたのが印象的だった。アメリカではパトロンの顔色をうかがうのが博物館員の仕事と聞いていたので、いっそう驚いた。

 2番目は美術史の素養をもった教育担当学芸員の存在である。アメリカの美術館では教育部門の設置が義務づけられていたし、優遇されてもいた。3番目は業務の分業が徹底していること。日本の学芸員が何でもするのとは大違いであった。広報部門は資金集めに重要なので専任の部署があった。展示には専属デザイナーの意見が最も優先され、学芸員と言えども口がはさめなかった。作品の出入りにはレジストラーがあたり、作品を運ぶハンドラーや修復の専門家の存在も当たり前であった。館の出入りにあたって館長でも鞄を開けさせる警備の仕方。オープンさと厳重な管理が表裏一体となっていた。どこをとっても日本の博物館とは大違いであった。

 滞在中は毎日のように世界的にトップクラスのコレクションが並ぶギャラリーを見て回った。アメリカの美術館のコレクションの特色は規模の大小にかかわらず世界中の美術を集めるところにある。どんな小さな美術館であっても必ずいくつかの日本美術が展示されている。特にクリーブランド美術館の東洋部門は館長の専門分野だけあってとても充実しており、日本美術も豊富だった。リー館長は1946年に連合軍最高司令部の美術・遺跡部に配属されて来日した経歴の持ち主である。どんな作品でも自由に見ることができた。そこで培われた鑑識眼をもって購入するのだから、明治期に渡ったボストン美術館やフリア美術館のコレクションは別格として、質的にも優れているのは当然である。

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