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岡田嘉子(3)~10歳年下の夫との出会い、そして再びの祖国

『女優 岡田嘉子』升本喜年著、文藝春秋社刊、2300円(税別)

  • 松島 駿二郎

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2007年12月21日(金)

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 岡田嘉子はロシア語の読み書きもできない文盲の女でしかなかった。嘉子は広い空漠としたシベリアの大地に1人残された。いつの日にか、モスクワに行きたい。この一念が嘉子を支えていた。嘉子は果てしない孤独の中で、少しも精神を病むことなく、シベリアからの脱出を祈念し続けた。

 どこかに移動するらしいと知ったとき、嘉子は少しでもモスクワに近いところをと、主張した。そしてウラル山脈の南にあるチカロフという町で過ごすことになる。町のアナスタシアという女性のもとで暮らすようにと指示された。

 アナスタシアは予想外によい人物だった。シベリアに1人で2年も暮らすことを余儀なくされた嘉子の過去を哀れんで、何くれとなく面倒を見てくれた。あるとき、嘉子はアナスタシアの亡くなった息子の写真を、大きく拡大して、画用紙にスケッチをした。

 これが評判を呼び、連日、町の人たちが押し寄せ、俺も私もと、よけいなことを考える閑もないほど忙しくなった。岡田嘉子の「嘉=カ」をとって、彼女はカーチャ、カーチャロシア風に呼ばれ、町の人気者になった。

 転機が訪れたのはチカロフ町にニーナという女性がやってきたこと。ニーナは日本語を片言でしゃべった。それ以上に日露、露日辞典を持っていたことだった。モスクワへの足掛かりが突然嘉子の目の前に現れた。モスクワへの熱望がまた燃え上がった。

 ちょうど、折からソ連は対独戦争(第二次世界大戦)に巻き込まれ、ヒトラーの機動隊に対して、膨大な犠牲を伴う大祖国戦争を戦わなくてはならなかった。嘉子は戦争の惨禍の陰でひっそりと、ロシア語を磨いていった。さらに、カーチャは町に運ばれてくる戦争で負傷した若者たちの看病に没頭した。若者たちの命の恩人ともなり、町の尊敬を集めた。

 ドイツをソ連が蹴散らして、第二次世界大戦は終わった。

 そしてついに1947年秋、待ちに待ったモスクワへの移動許可証が交付された。ニーナがモスクワの外国文学図書出版所に職を見つけてくれたのだ。嘉子の仕事は日本語出版物の校正や翻訳。

 嘉子は夢にまで見たモスクワで、時間とお金が許す限り、劇場や舞台を鑑賞した。
モスクワ芸術座の『桜の園』(チェーホフ)を見たときは涙が止まらなかったという。この演劇を見たいがために嘉子は樺太の国境を越えたのだ。

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