クライマーには、およそ山と無縁に思えるような隠語がある。
それが“沈没”という言葉だ。
世界の山々を登り続ける彼らは、自らを旅人と称している。その旅人が、山に挑むことをやめ、ひとつの地に安住することを彼らは“沈没”と呼ぶのだ。訪れた国の文化や風土が気に入ってしまい、どっかと根をおろしてしまうことだ。山男が山男でなくなるから、皮肉混じりに海の言葉でたとえたのだろう。
とりわけ、タイという国は山男を籠絡するお国柄らしい。この国を訪れて沈没してしまうクライマーは数限りなくいるとのことだ。だから、現役時代の石黒昌泰(いしぐろ・まさひろ)はタイにだけは絶対足を向けなかった。
が、世界の山という山を登り尽くし、もうクライミングは卒業だと決めたときに初めてタイを訪れ、ものの見事に“沈没”した。
「クライミングってのは氷点下何度という環境で断崖をよじ登るわけでしょう。寒いところにしか行ったことなかったのに、タイは温かくてね。十月だってのに泳げるんだもん、まさに南国の楽園って感じだった。食事はうまいし、女の子も綺麗だし……、あちこちにいろんな匂いが充満していて、混沌とした部分はあるんだけど、街じゅうにエネルギーが溢れていた。湿気が強いからいい感じの汗をかくしね。なるほど、こりゃ沈没するわなって思ったら、本当に沈没した」
バンコクのドーナツ屋で、彼はある女性に声をかけている。
いわゆるナンパだ。色白で、おしゃれな洋服を着て陽気に笑う彼女を、声をかけるまで彼は日本人旅行客だとばかり思っていた。彼女が色白なのはタイ北部の生まれだからだ。誰が見ても日本人にしか見えなかったそのときの女性が、現在の石黒夫人だ。
彼は、クライマーの沈没を地で行った。
滞在は一ヶ月だったが、その間に猛烈なアプローチをかけ、しまいには彼女のアパートに転がり込んでいる。一度帰国し、二ヶ月後のクリスマスに訪れたときには彼女の名前を彫った婚約指輪を持参していた。このとき、バスで12時間かけてハヤオ県にある彼女の実家を訪れて親族に挨拶もし、翌年の五月、彼女の誕生日に式を挙げている。
「山登りと同じです。ぐずぐずしていたらいつ天候が変わるかもしれない。一瞬の判断がものを言うんですよ、クライマーは。その判断力がないやつ、計算ができないやつが命を落とすんです。それに、他人の家に転がり込んでそのまま居候を決め込むのはクライマーの特技みたいなものです、押しが強くなきゃ山は登れない」
電光石火の早業を、彼はこんなふうにたとえた。それが14年前、彼が26歳のときのできごとだ。
少しでも山に詳しいひとならば、彼の名前を見ただけでピンときただろう。
彼は、日本のトップクラスのクライマーであると同時に、世界記録の保持者でもあるからだ。
出身は新潟県。県内でもナンバーワンの進学校に進み、兄の影響で山岳部に所属した。それが山にかかわるきっかけだ。部の決まりで、山登りは月に一度と決められていたが、それでは飽きたらず、ほとんど毎週のように山に登っていた。
遠征費や用具を揃えるためにバイトをしていたが、それでも彼は模擬試験で全国の10位に入るほどの成績をおさめた。嫌味なほど勉強のできるやつだったらしい。理科系だった彼は、当時の共通一次試験でも得意科目の物理と生物で満点を取るが、受験には失敗する。ふたりの兄が私学に進んでいたこともあり、両親との話しあいで国立大学しか受験していなかったからだ。
予備校には特待生で迎え入れられた。学費免除の特典である。そればかりか、彼には豪勢な百科事典と英和、漢和などの辞書が一揃え贈られた。
「もらった翌日には古本屋に売って、その金で春山に登ったんだった。あんなの、もらったって使わないもの」
周囲が太鼓判を押した受験に失敗した失意よりも、彼には山だったのである。
予備校に半年も通ったころ、山の専門紙に掲載された求人欄を見て、彼は予備校もやめてしまう。住み込みで働いたのは、長野県白馬村の北、新潟県との県境にある山小屋だった。
「山小屋というか、一応は温泉が湧くホテルなんだけど、すごいところでね。冬はヘリコプターで行くんです。でも着陸する場所がないから、地上二メートルくらいでホバーリングして、そこから飛び降りろと。飛び降りたら飛び降りたで、今度は全身がすっぽり雪に埋まって、出るにも出られない」
そこは山スキーのメッカだった。
彼が働いた山小屋から20キロもノンストップで滑られる天然のゲレンデがあり、その終点に大糸線の平岩駅があるという立地だ。滑り終えたらそのまま電車で帰るという、山スキーを愛するひとには堪らないコースらしい。シーズンには平日でも100人のスキー客が訪れ、週末ともなれば500人もの愛好家が宿泊し、翌朝早くゲレンデを滑り降りて行く。
「社長と副社長、それにバイトを入れた五人で500人ぶんの朝食を用意しなきゃならないんで、毎日がてんてこ舞いだった。雪掘りなんて露天掘りで八メートルも掘るわけだし。日給4000円だったけど、遊ぶ間なんてなかったですよ」
雪解けのころ、ガイドでその小屋を訪れたクライマーに勧められて上京する。
“蒼氷(そうひょう)”という日本屈指の山岳会に入会したのもそのときだ。予備校生活を続けていれば、もしかしたら赤門をくぐっていたかもしれなかった彼は、蒼氷に入会して初めて“エイドクライミング”という最も過酷な山登りと出会う。
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