「降旗 学の「長目飛耳」」

降旗 学の「長目飛耳」

2008年1月11日(金)

「煙草を吸う」という仕事

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 柔和な顔つきは、煙草をくわえた途端に険しくなる。

松原幸三氏

松原幸三氏 (写真:山本 雷太、以下同)

 おもむろに火をつけると、松原幸三(まつばら・こうぞう)はひとくち目を大きく吸い込んだ。

 だが、煙は肺までは入れず、口内に留めるのみで、舌で押し出すかのようにゆっくりと吐き出してゆく。たったひとくち、口に含んだだけで松原は煙草を揉み消した。そして、次の煙草に手を伸ばす。

 松原の前には、七箱の煙草が置かれていた。

 パッケージには全くデザインが入っていない。真っ白な無地の箱には、ただ“ロット1”“ロット2”と通し番号が印字されているだけだった。

 ロット2と書かれたパッケージの封を切ると、一本目と同じようにひとくち目を大きく吸い込む。ふむ、と呟いて、今度はふたくち目を肺まで吸い込んだ。そしてまたすぐに揉み消す。ロット7まで用意された煙草を同じ要領で吸い終えると、松原は卓上に並べた七箱のうち二箱を選び出し、それぞれのパッケージから一本ずつを抜き取ってフィルターに通し番号を書き込んだ。

 その二本を手のなかでシャッフルし、通し番号を見ずに吸い比べてみる。揉み消した煙草の通し番号を確認して、静かに頷いた。

 「うん、やっぱり五番だね。五番がいちばんいい」

試作品

 ここにきて、松原はようやく険しい表情を解いた。

 これが、JT(日本たばこ産業)製品開発統括部・製品開発第一部部長、松原の仕事だ。彼は、社内的に“ブレンダー”と呼ばれている。松原は、試作品の試喫(しきつ)をしていた。

 ほんのひとくち吸ってみただけで、松原の評価は終わっていた。なかには、口に含んだだけで肺まで吸い込んでいない試作品もある。

 「いいんですよ、これで。ひとくち吸えば、だいたいのところはわかっちゃうから」

 こともなげに笑う。

 私も試作品を吸わせてもらった。松原が最後に選んだ二本だ。吸いさしは消さずにそれぞれを吸い比べてみる。だが、わからなかった。二本とも同じに感じる。どこが違うというのだろう。

 「これは簡単なんです。たばこ葉のブレンド比はたぶん五番も六番も同じだと思う。何が違うかというと、葉をくるんでいる巻紙が違うんですよ……、そうだよね」

 松原が振り返ると、同席の開発担当者がこっくりと頷いた。

 お見事、とでも言いたげな顔だ。正解だったらしい。たったひとくち吸っただけで、松原は七箱の試作品の違いを感じ取っていた。

*   *   *

 煙草の原料となる“たばこ葉”は、正式にはニコチアナ・タバカムという。

たばこ葉
たばこ葉
たばこ葉

 世界に66種類あるナス科タバコ属のうち、煙草の原材料として栽培されているのはこの一種類だけだ。品種は大きく、茶色種(バーレー)、黄色種、オリエント種の三つに分けられる。乾燥させたときの葉の色での分類だ。

 手許に煙草があるひとは先端を覗いてみるといい。

 焦げ茶色の葉っぱと黄色、それからほんのり緑がかった淡い黄色の葉っぱが見えるはずだ。正確には“葉組”と言うが、この三種類をブレンドすることによって、煙草の味と銘柄が決まってくる。味のベースとなるのは黄色種だ。

 だが、大きく三つに分類されるたばこ葉は、細かく分けていくと300種類以上にもなるらしい。

 たばこは成長すると人間の胸の高さくらいになる。原料で使われる葉は、着位別に四段階の高さで収穫されるのだという。

 「いちばん上の、胸の高さで採れる葉を天葉(てんぱ)と言います。ここはもっとも陽射しを受ける葉っぱなので葉肉も厚く、味も濃くなります。次の、腰の高さが本葉(ほんぱ)、腿のあたりを中葉(ちゅうは)、膝のあたりで採れる葉を下葉(したは)と言って分けています。下葉はなかなか日光を浴びないから日陰臭く、味も淡い。それぞれ味が違うんですね。だから、一本の幹から四種類のたばこ葉が採れることになります」

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著者プロフィール

降旗 学(ふりはた・まなぶ) 

ノンフィクションライター。1964年、新潟県生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。96年、第3回小学館ノンフィクション賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『敵手』『松坂大輔 証明』他、剣崎学のペンネームで書いた『都銀暗黒回廊』など。
近著は『草野球をとことん楽しむ』(新潮新書)。 本ウェブ連載「長目飛耳」をまとめた『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)


このコラムについて

降旗 学の「長目飛耳」

本コラムが単行本になりました! 『世界は仕事で満ちている

テーマは“仕事と夢と男と女”。世の中にはこんな仕事もあるのかというような仕事、知ってはいるけど実態までは知らない仕事がある。そんな仕事に生きがいを見いだす人、夢に向かって走り続ける人、そして、仕事と恋の狭間で揺れる人々の思いを活写するルポエッセイ。タイトル「長目飛耳(ちょうもくひじ)」とは“遠くのことをよく見聞する耳と目”の意。

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