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「いずれ駅に降りるなら、長く電車に乗っていたい」青木功(前編)

  • 三田村 昌鳳

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2008年2月4日(月)

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 人生の中で、いくつかのターニングポイントがある。その転機の瞬間を経ることによって、人が歩む道が大きく変わることもある。プロゴルファー・青木功のターニングポイントは、36歳の春だったと僕は信じている。

 あの夜……。青木が熱く語った言葉が、いまでも僕の耳の奥から聴こえてくるようだ。青木自身はどうか分からないけれど、僕は忘れることのできない人間の転機の瞬間に遭遇したと、いまでも思っている。それは1978年マスターズの2日目の夜のことだった。

 「俺、ようやく裸になれたような気がするんだ。今日の最後のパット、3メートルあるかないかという距離だったと思う。あれを外しても入れても、予選落ちには違いないけど、どうしても入れたかったんだ。これを外したら、また元の俺に戻ってしまう。これを入れなきゃ、これから先の俺のゴルフはないかも知れないと思った。何か、けじめをつけたかったんだ」

 18番、最終ホール。パットを入れる時の青木の顔は恐いほどだった。うまいパットだった。技術と心が一致していたのだろう。

 「俺、いま36歳なんだよ。この歳になってさ、はじめて人間関係の大切さを知ったんだ。それまで俺は、棒(クラブ)だけ振ってりゃいいと思っていたんだよ。36歳か……でも、いいじゃないか。一生自分に気付かずに終わってしまう人間だっているんだし……。遅いということはないよな」

 青木がくいと水割りを飲みほして、独り言のようにそう呟いたのも、4度目のマスターズの時だった。74年は、尾崎、青木ともに予選落ちした。青木は、77年の3度目の挑戦で28位に入って、78年にも招待されたのである。

 やけにその夜の青木は、センチメンタルになっていた。水割りのピッチも速かった。でも、決して酔った上での言葉ではない。青木は、噛みしめるように語っていた。

 ゴルフは、忍耐であり辛抱で、ときには居直りも必要だと、青木がそう口にするようになったのはそれからである。そして、世界マッチプレー選手権に優勝し、世界の青木と呼ばれるようになったのも、この年の秋のことだった。

 それから29年が過ぎようとしている。

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