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外国人の目に映った「奥の細道」

漂泊の俳人 芭蕉の足跡を追って

  • 藤田 宏之

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2008年2月15日(金)

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 詩趣あふれる紀行文『奥の細道』で世界中の読者を魅了してきた俳人・松尾芭蕉。『ナショナル ジオグラフィック日本版』2月号では、米国人の紀行作家ハワード・ノーマン氏と日系3世の写真家マイケル・ヤマシタが、その足跡をたどった興味深いレポートを紹介した。

 外国人の目に映った芭蕉の世界とは、どんなものなのだろうか?



40代なかばを迎えて体力の衰えを感じていた芭蕉は、漂泊の旅に突き動かされ、現在の東北地方から日本海沿岸をたどる2400キロを踏破した。巡礼者たちがつかうような足袋や草鞋を芭蕉も旅装束に用いたのだろう。
40代なかばを迎えて体力の衰えを感じていた芭蕉は、漂泊の旅に突き動かされ、現在の東北地方から日本海沿岸をたどる2400キロを踏破した。巡礼者たちがつかうような足袋や草鞋を芭蕉も旅装束に用いたのだろう。

 「日々旅にして、旅を栖とす――俳人・松尾芭蕉は『奥の細道』の冒頭にこう記している。 この言葉をかみしめながら、私は今、後に俳聖とうたわれた芭蕉が1689年に踏破した、2400キロメートルの旅路をたどる準備を進めている。そして実のところ、この旅に臨むにあたって一抹の不安も感じている」と紀行作家のハワード・ノーマン氏はそう話を起こす。

 ノーマン氏はかつて、京都で生まれ育った言語学者のヘレン・タニザキ氏にこう教わったという。「学校のクラスメートはみんな、芭蕉の句なら1つや2つは暗唱できたもの」。実際、日本人で松尾芭蕉を知らない人はいないといっても過言ではないかもしれない。

 今でも、芭蕉の生まれ故郷や菩提寺を訪れる人は後を絶たず、多くの人々が芭蕉の旅路をたどって、ゆかりの地へと実際に足を運ぶ人は少なくない。『奥の細道』は、多くの外国語に翻訳され、時空を越えて、世界中の読者の心を魅了してやまない。

 ノーマン氏はその理由を「種々の災厄と不確実性に満ちた世界に暮らす私たち現代人は、芭蕉が時折訴えていた漠然とした不安に対して、ある種の親近感を覚えるのではないだろうか」と分析する。

 芭蕉が活躍した元禄期(江戸時代中期)の日本も、大きな社会的変革の渦中にあったといえるだろう。

 芭蕉の生い立ちについては諸説あるが、1644年に伊賀国の城下町・上野(現在の三重県伊賀市)に生まれたとされる。父親の松尾与左衛門は下級武士の家系にある人物で、子どもたちに書道を教えて得た収入を、生活の足しにしていたという。芭蕉には兄と4人の姉妹がいたが、おおかた農民になったと推測される。

 連歌から派生した俳諧を好んだ芭蕉は、上野城の重臣の嫡子に仕え、京都の高名な俳人・北村季吟の門下に入ったといわれている。後に芭蕉の作風に大きな影響を与えた中国の漢詩や、荘子の思想に出会ったのも、この時期だったと思われる。芭蕉は主人の死後、一時期京都に遊学したという説もあるが、確かではない。



『古池や 蛙飛び込む 水の音』 平易な言葉で深い精神性を表現した芭蕉は、連句の冒頭にあたる発句という形式を芸術の域にまで高めた。
『古池や 蛙飛び込む 水の音』 平易な言葉で深い精神性を表現した芭蕉は、連句の冒頭にあたる発句という形式を芸術の域にまで高めた。

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