「降旗 学の「長目飛耳」」

降旗 学の「長目飛耳」

2008年2月15日(金)

ブラジャーは、輝きを支えるためにある

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 初めてブラジャーをつけ、ガードルを穿いてみたのは、“彼”が二十歳になるかどうかという若い時分のことだ。

 使い勝手もわからず、最初は戸惑いもあった。

 背中のホックをはめる動作にも、ぎこちなさが目立っていた。

 だが、そのとき初めて、“彼”は心から女性の偉さがわかったという。

 「あのときの感触はまだはっきりと覚えています。女性はこういうものを着けて自分を美しくしているのかと思うと、驚きというより、感動に近いものがありました」

ワコール人間科学研究所・開発工房 部長 湯浅勝氏

(写真:山本 雷太、以下同)

 ワコール人間科学研究所・開発工房の部長を務める湯浅勝(ゆあさ・まさる)の、若かりし日の回想である。

 昭和51年の入社当時、湯浅は中央研究所・人間工学課に籍を置き、女性下着の開発を担当していた。現在の人間科学研究所の前身である。生産ラインに移った三年を除くと、29年にわたり一貫してブラジャーの開発を続けてきた。

 「もともとは工業デザインの勉強をしていました。工業規格を守りながら図面を描くわけですが、たとえばドアノブひとつデザインするにしても、掴みやすく、動かしやすいトッテにするために手の寸法を測り、データに基づいて設計図を描くのです。まさに人間工学なのですが、女性の下着も人間工学に基づいて開発していると聞いて――」

 ワコールに入社した。

 だが、扱うモノは女性の下着だ。もちろん湯浅には馴染みがない。布でつくるものだから簡単だろうとタカをくくっていたが、それが大きな間違いだったことは実際にブラジャーをつけてみて初めて気づいた。

 「私が入社した当時、ブラジャーは“洋装にあわせる下着”という意味あいが強く、どちらかと言えばデザインとスタイルを前提としていたんです。ワコールでは昭和39年から毎年1000人前後の女性を募集して人体計測のデータを収集していますが、私もメジャーを手にひたすら女性の寸法を測りました。女性の身体がどうなっているのかを知るためでもあります。それを知らないことには、身体にフィットしたブラジャーをデザインできませんからね」

 計測は“マルチン式計測法”に則って行われている。

 マルチン式は世界共通の人体測定方法だ。身長、体重、スリーサイズにはじまり、肘から尺骨茎状突起と呼ばれる手首に突き出た骨までの距離や踝(くるぶし)、鎖骨の位置や間隔など、測定部位は全身158カ所にも及ぶ。

 胸まわりで言えば、乳頭点距離と表される乳首と乳首の乳頭間隔や、バストとアンダーバストの差、ウエストとの差、さらにヒップやわたり寸法、ウエストとの差などが隙間無く測られる。マルチン式では専用の測定器が使われるが、ワコールではさらにテレビカメラを用いた“シルエット分析装置”や“非接触三次元計測装置”を導入し、立体的なデータも収集している。その数はすでに35000人ぶんにも相当するという。

ディスプレイ

 こうした膨大なデータをもとに、ワコールが発表した理想のプロポーションが“ゴールデンカノン”だ。発表は1996年。カノンとは“規範、基準”を意味するギリシャ語で、美術の世界では“均衡のとれた人体の標準比例”を指すらしい。

 人間科学研究所が発行する資料によると、ウエスト幅を“1”とした場合、肩幅は“1.6”、ヒップが“1.4”、乳頭間の距離が“0.8”になる体型が理想的なバランス指標になるのだそうだ。横向きに見ると、やはりウエストの厚みを“1”として、背中とヒップを直線で結んだときのくびれが“3分の1”、バストとヒップはともに“1.3”が理想だ。ただし、これは統計上の指標であって、世の中にはぽっちゃりした女性が好きだという男性もいればスレンダーの女性がいいという男性もいるので、あくまで参考だ。

 「私は、バストは顔と一緒だと思っているんです。女性が1000人いれば、なかには似た顔の女性がいたとしても、全員が全員違う顔をしている。バストも同じで、大きい、小さい、位置が高い、低い、広がっている……、かたちもさまざまです。よく言われる釣り鐘型とか、お椀型とかね。私たちはシルエットを見て、シャープだとか丸いという言い方をしていますが」

 湯浅がブラジャーをつくる際に使われるのが、一般的に“トルソ”と呼ばれる自社製のマネキンだ。ワコールでは、社内的に”設計用ダミー”と呼ばれている。

 上半身のみのマネキンは、厚手の布で覆われている。仮縫いの要領で、ピンで止めやすくするためだ。背中は脊椎に沿い、前面にはバストとアンダーバストの部分に目印のラインが入っている。トルソはマスターサイズと呼ばれる標準形から、サイズ別に100体単位で用意されている。ワコールの持つデータのすべてが、トルソの一体一体に収斂されているのだ。

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著者プロフィール

降旗 学(ふりはた・まなぶ) 

ノンフィクションライター。1964年、新潟県生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。96年、第3回小学館ノンフィクション賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『敵手』『松坂大輔 証明』他、剣崎学のペンネームで書いた『都銀暗黒回廊』など。
近著は『草野球をとことん楽しむ』(新潮新書)。 本ウェブ連載「長目飛耳」をまとめた『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)


このコラムについて

降旗 学の「長目飛耳」

本コラムが単行本になりました! 『世界は仕事で満ちている

テーマは“仕事と夢と男と女”。世の中にはこんな仕事もあるのかというような仕事、知ってはいるけど実態までは知らない仕事がある。そんな仕事に生きがいを見いだす人、夢に向かって走り続ける人、そして、仕事と恋の狭間で揺れる人々の思いを活写するルポエッセイ。タイトル「長目飛耳(ちょうもくひじ)」とは“遠くのことをよく見聞する耳と目”の意。

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