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「日本」と「私」の再生に必要なのは~『国家・個人・宗教』
稲垣久和著(評:山本貴光)

講談社現代新書、720円(税抜き)

  • 山本 貴光

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2008年2月19日(火)

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評者の読了時間3時間40分

国家・個人・宗教 近現代日本の精神

国家・個人・宗教 近現代日本の精神』稲垣久和著、講談社現代新書、720円(税抜き)

 国家・個人・宗教。いずれも劣らず大きなテーマだ。

 こうした議論につきあう際は、論者の問題意識を確認することが肝要である。とりわけ政治や宗教といった大きく抽象的な事柄が絡む場合、論者の底意地のあり方によって、同じ題目から十人十色のストーリーが出てくるからだ。

 本書はどうか。著者は現状にどんな問題を見ているのか(問題)。現状を打破してどのような状態に革めることを思い描いているのか(理想)。そして、どのようにこの問題を解決するのか(手段)。まず、見通しをクリアにするため、国家と個人から見ていこう。

 著者は、現在の日本社会の動向に「民主主義の危機」を見る。具体的には、小泉政権下での首相自らの靖国参拝、そして2006年末に行われた教育基本法改正を見過ごせぬ問題として指摘している。

 これらはなぜ問題か。靖国参拝については、個人的な立場を強調したとはいえ、一国の首相が参拝を敢行するのはけしからぬ。というのも、そうした首相の言動が、国内外の市民があの戦争の犠牲者たちに対して抱く哀悼の念を、「隣国同士の愛国心のぶつかり合い」へと変えてしまったからだ。

 他方で教育基本法改正では、「愛国心」という個人の心にかかわる問題が、国民不在のまま(やらせタウンミーティングはあったものの)決定されたことは遺憾である。

 こんなテイタラクになったのはどうしてか。それは国家の突出に対して市民社会があまりに未成熟で、民主主義が機能失調の危機に陥っているからだ。

 著者の問題意識をひとまずこのように整理すると、そこから自ずと目指すべき理想の状態が見えてくる。つまり、いかにして「市民社会」を成熟させるか。これが喫緊の問題だというわけだ。

 ところで、上記のような「民主主義の危機」を回避する手段としては、政治の「突出」を未然に防ぐしくみを作ることも考えられるが、本書ではこの路線は検討にかけられない。

「公」と「私」の二元論をいかに脱出するか

 では、著者はこの問題にどのような解決の筋道をつけようとするのか。

 現状は公私二元というまずい状態にある。例えば、教育基本法改正では、愛国心を持つべしというかたちで、国家(公)が個人(私)の心の問題に直接介入する。これは国家と個人、公と私の二極で話が閉じてしまった公私二元の状態でいかにも危うい。

 しかし、公が極端になれば戦前の国家主義となり、私が極端になればオレがオレがの個人主義(ミーイズム)が横行する。著者は、いずれの主義が幅を利かせる社会も、「人間が人間らしく生きられない社会」だという。

 なるほど国家主義が数々の過ちを犯してきたことは、歴史が教えるところだ。他方の個人主義の弊害については、具体的な内容は不明だが、誰もが利己心だけで動き、他人を尊重しない状態を念頭に置いているのだろう。

 さて、こうした公私二元が問題だとすれば、どうしたらよいか。ここで登場するのが「公共」である。つまり、公私二元を脱却して、公・公共・私の三元で行こうではないか、公(国家)と私(個人)のあいだを媒介する公共(市民社会)を形成しようではないか、という主張だ。

 なぜ「公共」や「市民社会」が必要なのか。要すれば、ここで想定されている市民社会とは、自分と異質の他者にも配慮できる自立した個人からなる社会のこと。「異質の他者への配慮」とは、主義主張や文化が異なる他人にも寛容でいられるという意味である。「自立した」とは、なんでもお上任せ、お上頼みではないというほどの意味だ。こうした個人たちから成る社会には、公共の精神が醸成されるはず。

 と、ここまでの話を読めば、それならよくある公共論だと思うかもしれない。実際、市民運動の議論などでもしばしばこうした必要性は主張されているところだ。

 本書の議論に特徴があるとすれば、それは以上の問題を「宗教」との関係から考えることだ。

コメント7件コメント/レビュー

本の著者よりも評者の意見に、私も共感できました。筆者が想定する「宗教」というのは、あくまでもキリスト教のような「一神教」なのだと思います。しかし、日本の神道は多神教ですし、仏教なども一神教的な性格の比較的弱い宗教です。欧米やイスラム圏のような一神教の伝統しかない文化圏では、確かに宗教なくして道徳なしというのは理解できます。日本では、宗教というよりも、もう少し世俗の倫理で、道徳や成熟を考えることが可能なのだと思います。こうした違いは、欧米の知識人ですらなかなか理解できない人が多いように感じています。(2008/02/19)

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本の著者よりも評者の意見に、私も共感できました。筆者が想定する「宗教」というのは、あくまでもキリスト教のような「一神教」なのだと思います。しかし、日本の神道は多神教ですし、仏教なども一神教的な性格の比較的弱い宗教です。欧米やイスラム圏のような一神教の伝統しかない文化圏では、確かに宗教なくして道徳なしというのは理解できます。日本では、宗教というよりも、もう少し世俗の倫理で、道徳や成熟を考えることが可能なのだと思います。こうした違いは、欧米の知識人ですらなかなか理解できない人が多いように感じています。(2008/02/19)

宗教「教育」で事態を何とかしようとするのは所詮ムリではないか。産業化が進めば地域社会の絆帯が緩み伝統的な宗教活動が低下する。(欧米でも教会に通う人は減る一方。)その間隙を縫って新興宗教が台頭する。(2008/02/19)

従来の大きな宗教、キリスト教、仏教、イスラム、なんでもよいが、その形骸化した部分を教えるというのでは、誰も耳をかさないだろう。特に原理主義的な宗教は、その宗教が「教え」としていること実際社会との間に乖離があり、それ自身が紛争の種を作ってしまっている。人にバックボーンを与えるのはよいが、それゆえ寛容さも奪っている部分があるように思えてならない。現代人が心や魂に関することを求めていないというのではない。いくら科学が進歩しようと”私たちが今ここにこうして生きていることの意味”を人は問い続けるからだ。物質主義ではその答えは得られない。この領域は非常の大事でありながら、デリケートであり、容易にだまされたりカルトにはまったりもしやすい。だからといって霊的なものが人間に不要といいきる愚かな物質万能主義ではこの先の人類の進歩はありえまい。旧来の大宗教の枠組みでもなく物質万能主義でもない新しい何か、それを今模索しているのだと思う。(2008/02/19)

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