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言葉とモノの関係を、ムシの専門用語から考えてみる

2008年2月20日(水)

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 『言葉と物』はミシェル・フーコーの大著である。この本の始めのところに、ヴェラスケスの「侍女たち」の絵解きがある。画家はいったいこの絵で、なにを描こうとしているのか。

 この絵は理屈っぽい絵である。だから絵解きができる。それをいうなら、エッシャーの絵のほうがもっと理屈っぽいかもしれない。でも絵自体が矛盾しているのは、理屈に反しているのではないか。でもそれをいうなら、マグリットの「これはパイプではない」というパイプの絵がある。

 ここではフーコーのように、立派なことを論じようというわけではない。モノを見て、言葉にする。そのことである。

 標本を見ながら、アレッと思う。この前見たとき、どう見えていたっけ。見たことは確かだけど。そういうことは、ごくふつうにある。人によっては、カメラ・アイといって、見たものを写真のように記憶できる。私にその能力はない。だから標本を見て、なにかを意識したときに、記憶を探るが、記憶の中にそこの詳細を描いた画像がほとんどない。

 街の見慣れた日常風景でも、正確に記憶している人は少ない。ある日工事が始まって、昨日まであった建物が消えている。さてそこに、どんな建物があったっけ。それを正確に思い出せる場合は少ない。私の友人に、一人だけ、そういう人がいた。パリに行って、七年前にはここに革屋があったんだっけな。そういえるのである。その人は先月、中国で亡くなった。

ゾウムシの全体像 体長6ミリほど

ゾウムシの全体像 体長6ミリほど

ゾウムシの拡大図その1 電子顕微鏡で撮影しました。

ゾウムシの拡大図その1 電子顕微鏡で撮影しました。
前羽(翅鞘・・・甲虫の硬い前羽のこと)の付け根の逆三角形をしたのが「会合部」。翅鞘上に走る、点線上の何本もの溝、その溝と溝との間が「間室」です。

ゾウムシの拡大図その2 こちらも電子顕微鏡で撮影。

ゾウムシの拡大図その2 こちらも電子顕微鏡で撮影。
会合部のかたちがはっきり見えます。翅鞘はこの会合部がつけねとなっており、ゾウムシが空を飛ぶときは、この会合部をつけねに、翅鞘が左右に広がり、その下の後羽を開いて、空を飛ぶわけです。

 じゃあ、なにがあるのか。言葉である。あのゾウムシでは、「第一間室」のウロコが欠けていた。そう言葉になっていれば、見直す必要はない。でも言葉になっていないと、ある種の記憶にならない。ただ漠然とした記憶ならある。なんだか「会合部」が黒かったような。

 「間室」とは、甲虫の「翅鞘」に規則的に並んだ縦の溝の間の部分である。甲虫の翅鞘はチョウやトンボに見られる翅のうち、前の翅が堅くなったもので、この縦溝は翅脈が変化したものと見なされている。左右の翅鞘の合わせ目を「会合部」という。そこから第一番目の縦溝までが、「第一間室」である。一番と二番の縦溝の間が「第二間室」で、以下同様というふうに名づけられる。

 なぜこういうふうに、言葉にするのか。言葉にしようとすると、よく見ざるを得ないのである。言葉にしなければ、だいたいこんなものだ、で済む。言葉にしようとすると、それでは間に合わない。詳細に見ないといけない。同時に、共通部分にはきちんと名前を付けておかないとならない。だから「間室」とか、「会合部」とかいう術語が生じる。

 そういう詳細に無関係の人、つまり素人は、術語を聞かされるとウンザリする。それが積み重なって、おたがいに理解ができないという状況が生じる。

それでも言葉を用いて、ものごとを具体的に表現するためには、術語は欠くことができない。私は解剖学をやっていたから、それはイヤというほどわかっている。自分の体を言葉で表現しようとすると、たいへんな数の術語が必要になってくるのである。

 外国語を教える人は、日常会話は数百語でじつは十分だという。それがなぜかを、たまに考える。思うに、現代の日常はそれで間に合うほど単調だ、ということではないのか。それ以上に複雑なことは、仕事の中でしか、出てこない。解剖学用語でいうなら、肉眼解剖学の用語だけで、おそらく四千語はあったという記憶がある。顕微鏡で見たり、胎児を調べたりすれば、つまり組織学、細胞学、発生学用語を含めると、万の桁に達する。

 こういうふうに、具体的な事物を言葉にしようとすると、たいへんなことになる。だから映像の社会になるのかもしれない。面倒だから、現物あるいはその映像をテレビで見せてしまえ。

 いま目のまえにある虫を観察する。それを「きちんと」やる最良の方法は、絵を描くことである。絵にするためには、ていねいに見なくてはならない。とくに見えている各部分のプロポーションなどは、絵でも描かなければ、仔細に吟味することはない。

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「言葉とモノの関係を、ムシの専門用語から考えてみる」の著者

養老 孟司

養老 孟司(ようろう・たけし)

東京大学名誉教授

解剖学者/作家/昆虫研究家。1937年生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。95年東京大学医学部教授を退官し、その後北里大学教授に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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