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横浜・根岸ゴルフ場~日本ゴルフ史の起源

2008年2月20日(水)

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 作家・吉川英治は1892年(明治25年)、神奈川県久良岐郡中村根岸に生まれ、横浜ドックで働いた人物である。小説『かんかん虫は唄う』にこんな描写がある。

 「ここの競馬場の歴史は古い。まだ大小の刀をさした丁髷日本人たちが、維新の革命に血みどろになって騒いでいた慶応年間に幕府から敷地を請求して、そのころからもうぼつぼつ外人間だけでやっていた最古の競馬場であるのだ。それだけに、ここの競馬倶楽部は国際的なスポーツ熱と上海式な賭博本能をあおる組織にできていた」

根岸森林公園の丘の上にある一等馬見所跡

根岸森林公園の丘の上にある一等馬見所跡

 根岸森林公園の丘の上に一等馬見所跡が残っている。これは1930年(昭和5年)にJ・Hモーガンによって設計建設されたもので、倒壊の恐れがあるため柵で囲われているが、どこか東京競馬場のメインスタンドを思わせる荘厳な建造物である。

馬の博物館から公園越しに一等馬見所跡を望む

馬の博物館から公園越しに一等馬見所跡を望む

 米軍施設を挟んで芝生の斜面を見下ろすと、谷の向こうの雑木林の合間に馬の博物館の建物が見え隠れする。冬枯れした広場を犬が走り回り、フリスビーを飛ばす子どもの嬌声がこだまし、恋人たちの繋いだ手が白く黄昏を弾んでいた。

 かつてこの森林公園は一周1774メートルの競馬場だった。吉川が書いたように、競馬場は1866年(慶応2年)に完成し、その翌年から主に山手の外国人居留地に住む英国人によって競馬が行われていた。

 日本初の洋式競馬場は1881年(明治14年)に明治天皇の行幸という光栄に浴し、主催する日本レースクラブは1888年秋、パリ・ミューチュアル式の馬券を発売した。根岸の賑わいは鰻登りとなり、当時の写真にはシルクハットをかぶった紳士たちが、まるで本場ダービーの風景のように社交している姿が写っている。時は鹿鳴館だった。

1908年当時の根岸ゴルフ場。2473ヤード、パー33の9ホールで、写真は4番グリーン

1908年当時の根岸ゴルフ場。2473ヤード、パー33の9ホールで、写真は4番グリーン

 伊藤博文、西郷従道、尾崎行雄、松方正義、岩崎弥之助……政治経済界の重鎮が会員に名を連ね、春秋の開催期にはこの丘に集まった。そして、いま犬たちが我がもの顔で走りまわるかつての走路内にゴルフ場があったという。起伏に富む斜面は緑のフェアウェイを偲ばせ、そのはずれにウォーターハザードの跡を思い浮かべることもできる。だが、ゴルフの痕跡は残っていない。碑もクラブハウスも、何もない……。

走路内にコースが造られたのは時代の流れだったのか

 ミューチュアル式馬券から人気をさらった日本レースクラブに、1901年(明治34年)、コース内の土地買収計画が持ち上がった。競馬コース内側の敷地の用途はさまざまで、当時の根岸競馬場の場合は77の農家が所有する畑地だったから、レースを見物する手拭いをかぶったお百姓の写真も残っている。

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