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第22回 独立行政法人化で試練に直面

博物館の活性化には、学芸員の意識改革が必要だった

  • 宮島 新一

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2008年2月22日(金)

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 東京国立博物館の在職中に独立行政法人化という重大な試練に直面した。この時にアメリカの美術館で学んだ経験がよみがえってきた。わたしは独立行政法人に移行する最大の目的は博物館の活性化であると考えている。経営の効率化だけがやかましく言われるが、本当の目的は、博物館を市民にとって親しみのある場に変えることだと思っている。かねがね「博物館は客商売の一つだ」と思っていたので、この機会にそれを実現してみようと真剣に考えた。

 ついでに言っておくと、最近、大学が学生を「お客様」と言っている。これは大間違いだと思う。社会に入る前にせいぜい羽を伸ばしておこうという学生ばかりならば、「お客様」扱いも許されるかもしれない。一度、就職氷河期があったことを経験している大学は、学生を一人前の社会人、職業人、国際人に育て上げることに対する責任が格段と増した。学生の中にも、そう考える者が増えているのではないだろうか。博物館が来館者中心に意識を変えたように、大学が「学生中心」に考えるという意味ならば、歓迎したい。

展示に関する感性があまり豊かとは言えない

 博物館を来館者中心の場にするための最大の関門は、学芸員の意識の中にあった。博物館の学芸員は研究者としての意識が強い。特に、国立博物館は第一人者と自負する人たちの集まりである。かく言うわたしも京都国立博物館時代は似たような意識でいっぱいだった。だから、現実と仕事の中味とが一致せず、3年もたたないうちに転職してしまったのである。

 高度な知識を持つ学芸員は作品の微細な違いにも敏感である。だから、傍目には同じような作品を並べても十分違っていると思っている。また、学芸員は細かな専門性を展示に反映させようとする。それは流派であったり、ジャンルであったりする。工芸品で言えば、一室を刀、小袖、茶釜ばかりが占めることになり、展示がきわめて単調になる。一般の人には差が分かりにくいので、一つ見れば十分とばかりに、ギャラリーを素通りしてしまうことになる。

 全員がそうだとは言わないが、学芸員は展示に関する感性があまり豊かとは言えない。作品の展示効果よりも時代の流れや流派の異同を優先する傾向が強い。作品が単調なうえに展示の仕方が単調では来館者の興味は引けない。学芸員は自分が持つ専門的な知識を誰にでも分かるように変換して伝えるのが仕事なのである。しかし、学芸員の顔は研究者や古美術のコレクターの方に向いている。解説や作品名称は学術的で分かりにくい。

 展覧会も学芸員の専門を反映できるものが優先される。言い換えれば、観客にとっていかに魅力的なテーマであっても、その分野の学芸員がいなけば実現を見ない。中心はあくまでも学芸員なのである。

 これを来館者中心に変えなくてはならない。赴任して間もなくの国宝室や浮世絵ギャラリーの新設などは、まだ小手調べの段階であった。広報誌のリニューアルや、他館では常識となっていた年間スケジュールの前年度中の決定および、展示カレンダーの発行も外的な環境整備に過ぎなかった。

東京国立博物館の本館2室(国宝室)の展示風景 写真提供:東京国立博物館

東京国立博物館の本館2室(国宝室)の展示風景 写真提供:東京国立博物館

組織は改められ、「東京国立博物館は変った」と評価される

 来館者中心にするためには組織を学芸員の専門別から博物館の業務別へと変えること。そして、学芸部門の人材を平常展示、広報、教育、特別展などの博物館業務へとシフトすることが必要であった。アメリカで感銘を受けたような違うジャンルの美術品を組み合わせて展示するためには専門性の壁を取り払わなくてはならない。学芸員もそろそろ博物館も変わらなくてはならないことは分かっていた。だが、そうかと言って組織改革に応じたのでは、研究が保障されないという危機意識が強かった。

 わたしも研究者のはしくれだから、その点についても考えてみた。いったい、人が研究者であると認められるにはどういう条件が必要なのだろうかと。

 もっとも分かりやすいのは肩書き、身分である。大学、研究所、博物館に所属していればとりあえず研究する人と、周りは見てくれる。その点はすでに保障されている。だが、博物館があまりにも営業に熱心になってしまってはそれも危うくなってしまう。それが問題である。

 次に、外から見て分かりやすい指標は研究室の存在である。図書に取り囲まれた個室のこそが研究者の証しとする。例えば、お隣の文化財研究所は新館建設にあたってそれを実現して、研究者の条件をより確実なものにしている。しかし、この二つはあくまでも外的な条件であって、十分条件ではない。

 何よりも研究者であることを保障するものは論文や著書を書き(考え)続ける行為にある。博物館員であれば、それに展覧会が加わる。研究は日々進化するものだから、過去の実績しかなければ、同じ人であっても今のその人を研究者とは言いにくい。論文を執筆するためには調査と読書の時間が必要である。その時間を保障しろ、練り上げた展覧会の企画を実現する場を保障しろ、と言うならば応えなくてはならない。だが、展覧会に関する希望を募ってみたところ、はかばかしい返事はなかった。

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